TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

2019年7月6日の一枚

西ティモール、ビボキ山間部で出会った一枚の織物。彼女の叔母にあたる人が嫁入り時に織ったとされる男性用帯。地織りの白も縫取織りの赤黒黄の模様もすべて手紡ぎ木綿で、海の向こうから渡ってきたガラスビーズが房の先っぽで揺れています。この日はこの布一枚。一枚の布のために歩んだ道のりをいつも大切にしていたいのです。
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必要なのはどこままでも歩ける丈夫な足と、どこでも眠れる分厚い瞼、そして布のようなしなやかな対応。ラジオからは“BREAK MY SOUL” 自動的にかたちだけの腹筋体勢に入ります。

祭りの季節

8年前、2014年8月11日。
雨季(11月から4月頃)の間の畑仕事を終え、乾季(5月から10月頃)は結婚式などのお祭りの季節です。椰子酒を引っかけてご機嫌なお祭り帰りの村人たち。カメラを向けると踊り上手な男は大サービスで踊ってくれます。両手を羽のように大きく広げ風をまとい、腰を低く落として足の裏で大地を踏みつける、そんな姿は自然への問いかけのようです。彼らは違うものを見て暮らしているといつもこの場を訪れる度に感じます。ここから生まれる“かたち”があります。まずは踊りを真似て体にかたちを染み込ませます。出発の準備として。
ティモールは祭りの季節、みんなに踊り披露しなきちゃ。
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2012年7月の西ティモール

以前西ティモールで道を尋ねた時「スマートフォン持っていないの?GPSで調べたらすぐわかるよ」と言われた事があります。次にティモールに出掛けた時には「まだ布を探して歩いているの」と言われそう。はたから見たら布を背負って歩く姿はカッコ悪く無駄な苦労で不憫に思われ、笑われ笑ってしまうほど間抜けなこともよくあります。スマートには程遠いけど、いつも心の内には喜びがあります。

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“乾いた土地”

西ティモールのアトニ人の“乾いた言葉”で“乾いた土地”と呼ばれるティモール。半年間の雨季が終わり5月から10月は乾季に入ります。距離がインドネシアのジャワやバリよりもオーストラリアに近いだけではなく、地質、気候、動植物も1350キロ南下したダーウィンに類似しています。これからの季節は風の方向は南からに変わり、冬のオーストリアから流れ込む冷たい空気で日没後の気温は急激に下がります。
ティモールの町は平凡で、乾季の山は殺風景で、村には大地と同化した”丸い家“があります。今では織ることが職業になった織手は雨季も乾季も一年を通して布を織りますが、本来は自然界が渇きで生産を停止した季節が、織手の布を生産する季節でした。

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腰舟

赤、青、黒に染め分けられられ、最後まで括られていたところは白い痕跡として経糸に残り模様になります。経糸の一方は柱に固定され、もう一方は織手の腰に掛けた腰帯で経糸のテンションを調整します。緩めたり引っ張ったり、畝る経糸は波のように刀杼は波に向かう櫂のように緯糸を打ち込みます。機と合体した織手の姿は海に浮かぶ小舟さながら糸のなかを織り進んでいきます。
眩むような暑さ、吹き抜ける風、そして椰子の揺れる音のせいもありますが、機の隣ではいつもうとうと、いつのまにか大海原に運ばれます。

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