TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

La Paz

朝5時、まだ薄暗い通りに大きな荷物を背負った小さな男たちの影が行き来している。

朝7時、たっぷりとした長いスカートとショールのなかに豊穣なその肢体を包み、

小さな山高帽をバランスを取るように頭にのせた女たちが花屋にうずくまる。

荷を運んできた男たちの姿はなく、商売が退けるころまたやって来るのだろう。



一束のピンクのバラ7ボリヴィアーノ。

花を抱えてホテルに戻るとフロントの女性は「コチャバンバから来るのよ」と大きなガラスの花器を用意してくれ、

従業員の男性は下の方の葉を落として水を入れてくれた。

毎朝買って部屋に飾る。前日に買った花はフロントやレストランへと場所を移ってゆく。



陽も落ちて肌寒くなっても、まだ萎れた花を商っている女がいる。ほかの花屋はとっくに片付けて帰ってしまったのに。

もう少し売れるまで粘るつもりだろうが、花を買う客はいそうもない。

首の傾いた白いカーネーションの値段を聞く。

値引き交渉をしたけれども、花売りの首は傾かず左右に揺れるばかりでにこりともしない。なのに花を買ってしまう。

入り口のホテルの扉を開けてくれた従業員の男性は呆れ顔で、それでも花器に水を入れ花を生けてくれる。

部屋に飾りしばらくすると、水を吸い上げた花はしっかり首を持ち上げ、微笑んでくれた。



ラパスのロドリゲス市場に近い通りは、毎日花売りたちで賑わっている。









    

「SKINNERS-揮発するものへ捧げる」

演出・振付・美術・照明:勅使河原三郎

『SKINNERS-揮発するものへ捧げる』

SKINNERS-Dedicated to Evaporating Things



※開演時間に遅れたお客様はご指定のお席にお座りいただけない

場合がございます。

東京芸術劇場中ホール

Tokyo Metropolitan Art Space,Theatre

2010年111月28日(日)

15:00開場 16:00開演 

全席指定 A席 ¥3,500(税込)

                一階 U列 13番

切符

切手は葉書を届けてくれる。それは破られることのない約束のように疑うことはない。

切符は目的地まで運んでくれる。それは根拠のない保証のように安心できる。

どこかから歩いてきて、券売機のまえで立ち止まる、止まる。

足を止めてまっすぐに立ち、小さく息を整える。

路線地図を見上げ、目的地の料金を探す。いろんな色の線が重なりあって四方に広がっている。

券売機にお金お入れて切符を買う。目的地までの切符を買うときもあれば、一度も降りたことのない駅までの切符を買うこともあるし、

一区間しか買わないこともある。だから切符を買うときはいつも三択をしなければならない。小さな旅のゲームのように。

でも間違っても目的地より先の切符を買ってはいけない。

切符には乗った駅名から→で料金が示され、この→の先に目的地がある。

改札を抜けて、切符をお守りのように大切に小銭入れにしまう。これで安心。

東京の線路のほとんどはロングレールなので、ガッタンゴットンと線路の隙間に落し物をすることもない。



行く先を確認しながら旅するように、もうしばらくここでも立ち止まりたいのです。3×5.7cmのなかに。

だからパスモもスイカもまだまだデビューできそうにないし、なかなかスイスイも行かない。

だって券売機がまだあるんだもの、句読点のように。

お出かけ一緒のときは切符買うのどうぞ待っててください。





















葉書

A4サイズのノートに手書きした住所録を、葉書ぐらいのサイズに縮小コーピーしはと目で2箇所穴をあけて閉じた住所録をいつも旅の時に携帯している。

葉書に住所を書いているとき、その場所を知っているときもあるしぜんぜん知らないこともある。

でも、そんなこととは関係なく、住所を書き込み切手を貼ると、葉書はその行く先に向って方角を整えてゆく。

日本だと、2つ口のある赤いポスの正面に立ち、左側の口に投函する。落ちるときにコトンと底に当たる音がすることもあれば、何もしないときもある。

いつもなんとなく赤いポストにペコッと頭を下げてしまう。

海外では必ず郵便局へ行く。料金を確認し、切手が接がれないよう4隅までしっかり指でなぞり、窓口に行き目の前で消印のスタンプを押してもらう。

そして押した消印の日付とちゃんと切手の上にスタンプがのっているかを確認し、送り先の国名をおまじないのように唱えながら手渡しして郵便局を出る。

ここからはもうどうすることもできない。届くか届かないかの小さな賭けをしたような、この賭けは距離が遠くなればなるほどスリルがある。

葉書を受け取った方から「届いているよ」と再び手にすることもあり、自分の筆跡と葉書の絵柄と切手からそのときの風景が蘇り、

角が折れていたり、しっかり貼ったはずの切手の端が微かにめくれていたり、わたしの知らないところを潜ってきた小さな傷跡が頼もしい。

もちろん葉書の多くを2度と見ることはないのだけど。

2008年12月から2009年1月にインドネシアを旅をしたときも、郵便局に立ち寄りは葉書を出し、12月も終わりに近づいた頃には新年のご挨拶になっていた。

インドネシアは空港で30日間のビザをUS25ドルで発行してくれる。わたしは12月8日にジャカルタから入国し、1月6日までにはインドネシアを出国しなければならない。

このときはインドネシアの西ティモールから陸路で東ティモールに入り、ディリーでインドネシアのビザを取得して再びインドネシアに戻りバリから日本に帰国する予定でいた。

「あけましておめでとう」と書かれた年賀状は、出すタイミングを失ったままリュックにしまい込まれ、ビザが切れる日も迫り移動を続けなければならなかった。

海に囲まれた島々は陸路だけではなく、飛行機か船を必要とする。

2009年1月4日、インドネシア西ティモールのアッタンブアから一時間バスに乗り国境のモトアインまで行く。

「インドネシアに再入国の際は必ずティリーでビザを取得するように、国境では発行できないので」と注意を受け、インドネシア出国。

ここから東ティモールの国境までは800m。どこの国でもないアスファルトの上に注ぐ熱帯の太陽と世界を繋ぐアラクル海の静かな水面を眺めながらゆっくりと歩いてゆく。

左手に小さな小屋があり、パスポートを差し出すと東ティーモールの30日間の査証をUS30ドルと交換にポンと押してくれた。

少し先のキヨスクの前でディリー行きのバスを待つ。ここは東ティモール バトゥカデ。



年まえから持ち歩いた年賀状を出せたのは2009年1月7日東ティモールのディリーの郵便局からで、窓口の女性はポルトガルの血が混じった体格のいい女性だった。

日本までと行って20枚の葉書をカウンターに置く。一枚US75セント。

のりを貸して貰い一枚一枚に貼ってゆく。いつものようにスタンプを押してもらいもう一度確認しおまじないの言葉を口にしながら差し出す。

カウンターの向こうの女性は大丈夫よと大きな身体を揺らしながら立ち上がり葉書を受け取る。



2009年1月29日帰国。寒い。一緒に連れ帰った布や留守中にたまった用事を少しずつしながら日々が過ぎてゆく。

4月に入りラオスへ行く準備を始めた頃何件かのメールが入った。「年賀状届きました」

2009年の4月から5月にかけて、東ティモールのディリーから送った年賀状が書いた住所に届き始めた。

全部届いたかどうかはわからないけど、いったいどこから届いたのだろう?

ポルトガルを経由してきたのかも。US75セントでの4ヶ月の旅。











森林のポリフォニー ~ イトゥリ森ピグミーの音楽~

森林のポリフォニー~イトゥリ森ピグミーの音楽~

森の父をなぐさめるために歌いそして踊る。

ムルンバと呼ばれる美しい樹皮布には点や線、格子や平行線で森の道や植物、昆虫、動物が女性の手により描かれる。











裸で暮らす人々の皮膚感覚は、森に共存する命すべてを感じるほど繊細だろう。

第2の皮膚である布“ムルンバ”にはその目には見えない感覚すべてが模様としてしるされている。

生命の樹

大地にどっしり根を張り、太い幹が空に向ってまっすぐに伸び、大地と天空を支えている。

四方に伸びた枝には鳥がとまり、喜びの言葉を歌にする。楽園がここにあると。

幹の中心の描かれた菱形は天と地を結ぶエネルギーの流れ。

世界中に見られる「生命の樹」それは中心のシンボル。



どのぐらい遠くまでイメージを広げることができるだろう。





輪の布ー輪状整経

世界中の織物には色々な織り方があり、

そのひとつに経糸をグルグルと輪の状態に整経し、クルクル回しながら緯糸を入れて織ってゆく方法がある。

この整経を輪状整経といい織機には腰機、原始機が使用されている。



ティモール島アマナトゥン地方ヌンコロの布。

地織はナチュラルな手紡ぎ木綿糸に模様が織り込まれている。

縫取織、刺繍織とも呼ばれ、織りながら別糸を経糸に絡めてゆく。

機からおろした布は経糸が繋がった状態で輪になり、この部分を切り開き房にして布は四角い一枚の布になる。







この袋もティモールのもので現地の言葉で“クルマウ”と呼ばれている穀物袋。

口の部分をスリットにして緯糸を織り返し、一周ぐるりと全部織りきっている。

最後は織ると言うより針で緯糸を経糸の間に縫うように入れている。

機からおろして、両サイドを縫い合わせて袋の出来上がり。

どちらも糸の無駄はまったくない。







“クルマウ”は使われなくなってから随分経つようで、今では見かけることはほとんどない。手軽な代用品はいっぱいあるから。

幸運にも村で出会い、年寄りたちと話しをしていると子供たちが珍しそうに寄ってきて尋ねる。

「それ何?」

「クルマウって言うの、トウモロコシや豆を入れる袋。」

年寄りたちはわたしが“クルマウ”のことを子供たちに教えていることがおかしいような困ったような顔で、

「ティモール人がティモールのことをだんだん忘れていってしまう。」

















布とチクチク

この一ヶ月のあいだ、ちょっとした時間にチクチクしていた。

ベトナムのザオの人たちの影響で刺繍をはじめたのではなく、

以前ご購入いただいたロンボクの古い布の修理をお受けし、毎日少しずつ糸を入れていた。



わたしが出会った始めから、端が破れていたり少し汚れていたりとその役割を充分果たした証拠が布に印されて、

同じように年月は木綿の風合いを育て、藍と白の快濶な格子にはそんな時がしっかりと含まれていた。



インドネシアから持ち帰った、古い木綿の藍の糸を縫うように、繕うように刺してゆく。

チクチク、チクチク、なにも考えず布を手にしてひたすらチクチク、チクチク、

上手くやろうとかそんなんではなく、ただただしていられることが嬉しくて気持ちがぐんぐん布に入ってゆく。

この布は誰のために織られたのだろう?



東北の刺子やインドのベンガル地方のカンタは、最後まで布を慈しむ心が形になった布。

織りが布の誕生ならば、刺すことは布の最後を見送ることなのかも。

でも日常の生活のなかで織られ、使われ、

たくさんの時間と思いが籠められているはずのこれらの布には妙な重苦しさがないなぁ?

きっとそれは布をつくることに驕りや、つくる相手にも押し付けがましさがなく、

布を貴う気持ちと布をつくる喜び、本物の心で手が働いているからかもしれない。



いまわたしの手のなかにある布が少しでも長く役目を果たせれるよう糸を入れてゆく。

あらあら、刺した糸で布が随分重たくなってしまったようです。

もちろん気持ちも一杯入っていますよ。

あ(チク)り(チク)が(チク)と(チク)う(チク)。

サパの市場

サパ中央にある市場の2階の一角では、黒モンと赤ザオの女たちが布を商っている。

壁面側は黒モンの女たちが、内側は赤ザオの女たちが伝統衣装や刺繍を並べている。
一人のスペ-スは約1メートル、出店料は1ヵ月100,000ドン。
30人ほどの女たちがここに店を出している。
朝6時から夜6時まで、毎日村には帰らずにサパのベトナム人の宿に泊まってる人もいる。
一泊5,000ドン。夜6時になると店から追い出されるので、ここで寝泊りはできない。


夕食を食べ終えて宿に戻る途中、
知った顔が店のガラスから洩れる光に照らされて浮かびあがる。
日中は市場で商売をしていた女たちが夜は路上に布を広げている。
おっと、また捕まってしまった。いつも自ら罠に掛かっているのだけど。
でも、暗くて布が見えないよ。

サパ

ラオカイからサパまで1時間。
8人の乗客を乗せたミニバスは、深い霧のなか曲がりくねった山道を進む。
同乗したフランス人の男性とベトナム人の女性のカップルにサパでの宿泊先を聞いてみる。
「運転手にホテルを告げてあるの、よかったら部屋を見てみるといいわ」

  

AM7:00 サパ着 標高1500メートル