TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

「たしかな朝」~ヴッパタールタンツテアター&大野慶人

ヴッパタールタンツテアター&大野慶人

Julie Anne Stanzak+Eddie Martinez+大野慶人



・公演日 2010年12月11日(土)16:00開演

・公演名 「たしかな朝」

・会場名 BankART Studio NYK (全席自由)

・枚数  1 枚



・お支払金額合計  2,500円 



チケットのお引き取りと代金お支払方法

BankART Studio NYK1F受付で整理番号付チケットを代金と引換にお渡しします。

受付時間:☆公演前日まで/11:30~19:00

     ★当日受け取りの場合/開演時間30分前からです。

※お支払いは現金のみの扱いになります。







1980年大野一雄の最初のヨーロッパ公演ナンシーフェスティバルは、

ピナ・バウシュの最初のフランス公演の舞台でもありました。

このふたりこそ文字通りコンテンポラリー[同時代]の舞踊家と言えるでしょう。

ふたりは既に故人であり、舞台を共有することはかないませんが、

未来に向けての「たしかな朝」を印す作品として、ピナ・バウシュの中心ダンサー、

ジュリー・アンヌ・スタンザクとエディー・マルティネス、大野慶人が共同制作を行います。





アンデスのウンク



ウンクは四角い小さな布。

アンデス特有の織り方は、4辺すべてが織端として納まっている。

ウンクはコカの葉や大切なモノを包んだり、母なる大地 パチャママにコカの葉を捧げるときに使われる重要な布。







わたしもウンクとコカの葉を持ち歩いていた。

村や市場で人に出会ったとき、この布を広げて緑のビニール袋からコカの葉を取り出してのせると、

驚きの顔がゆっくりとほころんでゆく。一瞬で同じ世界を見ることの出来る魔法のよう。



彼/彼女たちは必ずコカの葉を受け取り、噛むまえに、コカの葉をのせたウンクを目の高さぐらいまで両手で持ち上げ、

フーウッと数回息を吹きかける。母なる大地 パチャママに祈りをこめて。

そして広げたウンクの上にコカの葉をひらひらと落とす。

コカの葉は表の濃い色だったり裏の薄い色だったり、小さい葉大きい葉が重なり合て落ちている。

わたしの顔を見て意味ありげに頷く。コカ占い。

占いはどうでたのか。



アンデスのジャガイモ

父親と娘2人が乾いた土を掘っている。

何をしているの?



ハイ、と小さな手のひら一杯の小さなジャガイモをくれる。

畑とは思えないところから出て来たジャガイモは温かかった。







アンデスは歴史上、飢饉に脅かされたことが一度もないといわれている。

トマトもジャガイモもトウモロコシもトウガラシもみんなアンデスが原産。

母なる大地パチャママの加護がここにもある。



お返しに何かと思いあちこちまさぐると、

カルカの市場で買った、ハンカチで包んだパンとチーズがでてきた。

ここから鳩でも出せればいいのだけど。







山道を歩きながら皮を剥いてジャガイモを食べる。

ちょっと寄っただけなのに。たまらなく美味しい。

布を織るまえに

アンデスの母なる大地 パチャママ。

パチャママは織物に必要なすべての素材を用意してくれる。

q'oaオワと呼ばれるハーブのベットに3ヶ月以内のリャマの胎児を寝かし、虹色の繊維とゴールドとシルバーの紙を飾る。

オワは家を浄化し悪いスピリットを追い払う。

木の器にはトウモロコシを発酵させたお酒chiwchiチチャを注ぎ、コカ袋にコカの葉を用意する。

パチャママはタバコや砂糖も大好きで、もし布を織るまえにそれらを捧げなければ織手は、

母なる大地 パチャママの怒りをかうことになるだろう。









記憶~クスコのセニョール~

ラパスからコパカバーナを経由してクスコに戻る。あとはリマから日本に帰るのを待つばかりとなった日、いつものように朝食を食べにサンペドロ駅に近い中央市場に向う。

朝の透き通った時間は、日中よりも空気が薄く感じる。胸いっぱいに大きく呼吸をしゆっくりと坂を下ってゆく。宿からは20分の道のり。

アルマス広場を越えてた交差点で信号が変わるのを待っていると、向こう側に見覚えのある顔がある。向こうもこちらに気づきニコニコしながら信号の変わるのをじれったそうにしている。

確かに知っている顔?でも誰だっだろう?考え込んでいるうちに信号が変わって、セニョールは子犬のように横断歩道を駆けだして飛びついてきた。

=マナ、元気だった=ゲンキ=いつクスコに戻ったの=フツカマエ=ボリビアはどうだった=ヨカッタヨ=いつ日本に帰るの=アサッテ=今度はいつクスコに来るの=ライネン=

短い単語で応答しながら、わたしの頭の中はクスコの記憶の引き出しを引っ掻き回し、目の前にいる、古代アンデスの人型土器のような真ん丸い体つきの60がらみのセニョールのことを思い出そうとハタハタしていた。

キヨスク、市場、食堂、タクシー、バスのなか・・・ダメダぜんぜん思い出せない。セニョールはわたしの名前も、ボリビアに行ったことも知っているのに。

まるで間違って部分的に削除してしまったデーターのように、記憶は消えている。

セニョール、あなたとはどこで会いましたっけ?今度クスコで会ったら聞いてみよう。

布時間

この2,3日、朝から晩まで布に触れている。触れているというよりもわたしが布にまとわりついているのだけど。棚に置いてある布を一枚一枚取り出して広げる。

視線を右から左、左から右とへ移しながら布目を追い、手前へと徐々に引き寄せていく。

糸が抜けていたり、薄くなったところには色を合わせて糸を入れ、織糸が飛び出しているところは針に通して布に戻してあげる。

1時間、2時間、3時間、4時間、5時間・・・時間は普通に過ぎてゆく。こんな日はそれだけで1日が終わる。

贅沢な時間を過ごしたあとのような満足感と達成感が身体に残る。

針で、布に糸を刺しているとき、糸と一緒に時間を縫いつけて手を動かしながら頭や心で浮かんでは消えてゆく言葉も縫いこんでいるよう。

布の国で過ごす時間の経過と布の言葉。布共和国のグリーンカードはまだまだ発行してもらえそうにない。