TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

オエノポ市場

「行くわよ」と小さなノックとともに扉の向こうから声がかかり目を覚ます。

裸電球はトタン屋根を支える梁に絡めたコードから直接下がり、天井のない各部屋をほのかな明かりが照らしている。

ぼんやりと上を見ていると、頭上を黒猫が、出かけるところなのか帰ってきたところなのかゆっくりと渡ってゆく。

枕元の携帯時計に目を凝らすとちょうど3時30分、今日はエリザベットと一緒にオエノポの市場へ行く約束をしていた。

昨日も遅くまで新年の挨拶に立ち寄る客人をもてなし、それでもわたしは早めに失礼して眠りに付いたのだが、

エリザベットは一体何時に寝たのだろう。12時はとうに過ぎていただろう。

出かける準備をすでに整えていた彼女は、コーヒーを入れながら、

「今日は年明けはじめての市場だから人が多いわよ」     2011年1月4日(火)



ティモール島の各地域では、日曜日以外は必ずどこかで市が立つ。

エリザベットの住むマウベシ周辺だけでも、

火曜日のオエノポ、水曜日のオエロロ、木曜日のマウベシ、金曜日のウワバウ、土曜日のマヌフイと続き、彼女はトマトや青菜や干物を市場で商っている。

夜明け前の肌寒い通りで迎えの車を待つ。

少し遅れてやって来てた車は女たちと荷物とでですでに一杯だったが、

エリザベットの威勢のいい一声で運転手横の座席を獲得し二人で乗り込む。



オエノポは、ティモール中部に位置し、ビボキ、インサナ、マヌレアの3つの地区が交わる地点にあるので、

それぞれの土地を特長とする布を纏った人々の姿を見ることが出来る。

市場は経済活動の場所として物が移動し、物を介在としてタテもヨコもナナメも関係ない人と人との自由な接触が生まれ、

売りたい人と買いたい人の物の見定めが行われ、価格が交渉される。

もちろん畑のものや日用品などの生活雑貨にはある程度の相場はあるが、よそ者や珍しい物となると話は別。

少しでも高く売る努力も惜しまず、夢のような賭けにもでることもある。

畑仕事や家の仕事を忘れて話し込み、色々なところから来た人々と場所を共有し、島の向こうから運ばれてくる新しい製品に驚き、

それは祭りのような活気に溢れて、人々の笑い声や時に喧嘩も珍しくはない。

市場は、静かに日常を暮らす村人にとってのちょっぴり非日常的な場所と変身する。



昨日の雨で地面は泥濘、あちこちに大きな水溜りがある。

エリザベットの荷物を所定の場所まで運ぶのを手伝い、商売道具の青いビニールシートを広げ、小さな山を作って品物を並べてゆく。

なじみの弁当屋さんがら、茶紙で包んだ弁当を二つ買いしっかり腹ごしらえをして、商売開始。

わたしは知り合いの顔を探して、そして新しい発見を求めて市をウロウロする。



5時、6時、7時と市場はどんどん膨張してゆく。

買い物をする人、ただ来ている人、駆け回る子供たち、草むらに座りヤシ酒を飲む男たち、手入れされた闘鶏の鶏を抱えた男、

美しい布を纏う男・・・・、そして石灰岩の丘“ナイック メタ”はすべてを見守っているよう。





「11時には帰るからね、雨が降る前に」

早朝の澄み切った青空は、昼近くなるとになると一気に厚い雲に覆われ激しい雨が降り出す。

それはまるで、祭りの幕が下りるかように。































布と

西スンバ コディのペロにある宿に泊まっていたとき、60才を過ぎたと思われる女主人は、

どこの東南アジアの熱帯の風景を思い浮かべたときにも違和感なく溶け込む装いをしていた。

それは長い白髪交じりの黒髪を頭の後ろで結わえ、ジャワ島から運ばれてくるソガ染めの木綿の更紗を腰にしていた。

結婚式の外出のときは、しなやかなドレープの縁にレース飾りのあるベールを頭に被り、

身体の線を消した足首まであるゆったりした服を着ていた。

その装いはイスラム教徒であることを表している。



ある日、家の中にいた彼女の布に目が留り、

「あれ、今日はフローレスのエンデのサロンですね」と声をかけると、ちょっと驚いて、そしてとっても嬉しそうに

「よく知っているわね、わたしはエンデの人間なの、コディにはお嫁に来たのよ。随分昔の話ですけど」

そのご主人はもう何年も前に亡くなっているという。



スンバ島とフローレス島は、スンバ海峡を挟んで南と北に向き合っている。

島と島は海を隔て離れ、言葉も文化もまるっきり違うなかで、古くから交流が行われてきた。

どの島でも、男がほかの島の布を纏っているのを目にすることはほとんどないが、女がほかの島の布を纏っている姿は時折見かける。

それは女と布が一緒に、そこからここへ渡ってきた(嫁いできた)ことを明らかに標してくれている。



ティモール島でも、お世話になっていたエリザベットの家に、新年の挨拶で訪れた親族の女性のひとりはフローレス島のサロンを巻いていた。

「フローレスの人ですか?」と聞くと、弟のお嫁さんがフローレス人で、彼女からの贈り物だそうだ。

女性はそのフローレスのサロンを巻いていることをとても誇らしそうにしていた。



自分の島の外から運ばれて来た外来品を身に着けることは、女にとってはやはり喜ばしいことのようです。

そして知らない島に布と共に渡って来た女は、どんなに離れても、どんなに時が過ぎても、

布に身を委ねることで、自分の島”としっかりと結ばれているようです。





モノ

ひとつのモノが日常の生活のなかに当然のようにモノとして在るまでに、どれほどの手がそれを模索しただろう。



布だけを考えてみても、

繊維を見つけ、それを絡めたり組み合わせたりするまでには歴史的な時間の経過があり、

色を染め模様を付けることも、すでに古代から現代に至るまでに執拗に繰り返されきた。



モノのなかには、モノとして成立せずに何もかもが失われてしまったものもきっとたくさんあると思う。

それはさまざまな理由で、残らなかった。



布には膨大なデーターが蓄積されている。

なかにはまだまだ読み解かれていないものもあるかも知れない。

先へと、布を更新してゆかなければ。







ヌノとカラダ

ヌノを、巻いたり包んだり、結んだり広げたり、ヌノは柔軟に対応する。

カラダは、立ったり座ったり、捻ったり伸ばしたり、カラダを流れるエネルギーは繊細に変化する。





                                                      カタチを固定してしまうと?





オサップ

インドネシア ロンボク島、ササック人のオサップと呼ばれる織物。

儀式や儀礼の際に供物に掛けたり、載せたりする。

幾何学模様のなかに、人とクリスマスツリーのような木が、黒い緯糸で表現されている。

直立した人の姿は、織模様にしてはリアルに表現されていて、

今ではすでにイスラム化しているササック人の織物に、このような人型の模様が現れることはない。

人型の模様からはその土地の原始宗教の記憶を読み取ることが出来る。









ボーっと影のように浮かび上がる人型を見ていると、

イエス キリストを包んだとされる「聖骸布」といわれる布があることを思い起こされる。

もちろん写真でしか見たことはなく、その真偽はまだ定かではないそうだが、

その布には、イエス キリストの身体が映し出されているという。だから、イエスの顔を知ることが出来たと。



ボリビアを旅したとき、スクレにある“カテドラル博物館”の最後の部屋の壁に、

"COPIA DELA SABANA SANTA"(聖サヴァナの写し)と書かれた横長の大きな布が掛けられていた。

見た瞬間にアッと声が出そうなほどに驚き、即座に「聖骸布」の言葉が頭を過ぎった。

その布は、頭からスッポリ被せた布を開いたように、等身大の人の痕は、頭をつき合わす形で左右に仰臥していた。

本当に人の写しなのか、それとも象徴とするものなのかは聞くことは出来なかった。



布にはあらゆる情報が写り込んでゆく。

布を織っているときも、そして織り上がってからも。

スンバ島

緩やかな曲線の丘が襞のように連なる。

高い山を持たないスンバ島の土壌は石灰岩と砂岩から成り、

雨季には柔らかなビロードのような緑に包まれた大地も、

乾季には褐色の乾ききった厳しい表情に変わる。







テラ

インドネシア一帯の装いの習慣として、男たちは頭に布を巻いている。

東スンバではそれを“テラ”と呼ぶ。

現在では木綿織物やバティックを使用しているが、過去には樹皮で作られたテラが存在した。





村の人々は、樹皮で作られたテラを本物だと教えてくれる。

東スンバはダイナミックな模様の木綿織物で有名だが、今では失われてしまった樹皮布の歴史がその裏に隠れている。

日本の木綿の歴史が江戸から本格的に始まったように、木綿織物の宝庫とされているインドネシアの東に広がる島々の木綿も、

そう古い話しでもないのかもしれない。

それにしても今も紡錘一本で木綿は紡がれてる。なぜ紡錘車がこの辺りの島々には入ってこなかったのだろう、必要ないから?









樹皮はまるで爬虫類の皮膚を思わせるほど、その自然の紋が美しい。



布のちから

「布のちから」~江戸から現代へ~ 田中優子



内容(「BOOK」データベースより)

アジア文化の中で、手作りの布は、どのように作られ、流通し、愛されてきたのか?

歌麿が春画で描いた腰巻きや下帯、新撰組の衣装、バリの儀礼用絣グリンシン、日本の着物の生命樹の柄…

江戸学者が自在に論じる快著。カラー口絵8頁。

布が結ぶ世界と織物紀行











スンバの馬



暑さに強いスンバ馬はイギリス植民地時代、インドに運ばれて行ったという。イギリスの馬ではインドの暑さに適応出来なかった。

小さいけど、足腰のしっかりした馬力のあるスンバ馬。





東スンバで開催されるホースレースで、スンバを象徴するアンドゥン(首架紋)の布をなびかせた見事なプロポーションの馬。

スンバ馬?と尋ねると、オーストラリア産だよ。



西スンバにはパッソーラと呼ばれる儀礼がある。

馬に跨り槍を持った何百人もの勇敢な男たちが繰り広げる模擬の戦闘で、負傷者や時に死者がでるときがあるという。

「少しの血は流れたほうが良い」と誰もが思っている。それは豊穣の戦いなのだから。







スンバの刺青









両腕、両足に入れられた、鹿・馬・海老などの刺青は東スンバの伝統的な絣織物の文様と同じで、

これらの文様は権力や富、また命の再生を象徴し、特権階級しか用いることの出来ない織物であった。



纏うことを禁じられている織物の文様を皮膚に描いたのか?それとも本来刺青の文様であったものが織物に写されたのか?

針でつけた傷口に、ランプンの煤と薬草を混ぜて皮膚に塗りこむ。それは既婚のしるしでもある。

女は黒い腰衣を纏っている。