織物は、
たて糸とよこ糸の、きわめて限られた制約のなかで無限と思えるほどの表現の可能能を持って広がってゆく。
たて糸は固定され、そのたて糸のなかをよこ糸が潜り、よこ糸を一本一本と打ち込むことで、
糸は布へと目に見える時間の速度で明らかに変化してゆく。
「織る」ということは、よく妊娠から出産までのイメージと結び付けられて考えられる。
それはゼロであったことが時間の経過と共に、体内では胎児が成長し、機の上では織物がすすんでゆき、
女性だけに与えられた生命の創造の神秘は「織り」におなじように宿されてゆく。
どちらも戻すこともやり直すこともできない、そのゆだねた、ゆだねられた大きな流れにただただ漂う。
たて糸によこ糸を打ち込む、織女はその一本のよこ糸をためらうことなく刀杼で打ち込むだろう。
与えられた命のたて糸に、出会いのよこ糸を打ち込む、限りない可能性に向って。
「風水土のしつらい展」を終えて
「風水土のしつらい展」大丸梅田を22日に終えました。
東京に帰り、布と共にあれこれ考えているうちに気が付くと一週間がスルリと過ぎてしまいました。
一年ぶりの大阪で久しぶりにお会いできたお客様、本当に嬉しいです。
また今回の展示会で初めてお会いできたお客様、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
布の仕事を通じ「布」を考えるただならぬ方たちと知り合い語り合えること、こんな幸せなことはありません。
これからも、ただただテキスタイルダイバーとして潜って(沈んで)ゆくことだけに一層専念いたします。
ありがとうございました。
テキスタイルダイバー
東京に帰り、布と共にあれこれ考えているうちに気が付くと一週間がスルリと過ぎてしまいました。
一年ぶりの大阪で久しぶりにお会いできたお客様、本当に嬉しいです。
また今回の展示会で初めてお会いできたお客様、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。
布の仕事を通じ「布」を考えるただならぬ方たちと知り合い語り合えること、こんな幸せなことはありません。
これからも、ただただテキスタイルダイバーとして潜って(沈んで)ゆくことだけに一層専念いたします。
ありがとうございました。
テキスタイルダイバー
「風水土のしつらい展」 大丸梅田
ものとつながり、自然とつながる。失われた野生の感性を呼び込む。
「風水土のしつらいて展」
●5月18日(水)→22日(日)
●大丸ミュージアムUMEDA[大丸梅田店15階]
(午前10時~午後8時/最終日は午後6時閉場)

ティモール テキスタイルも参加します。
5月18日(水)午後5時30分からは「民族の布のお話~モヨウにしるされたコト」と題し、お話しをさせていただきます。
ヌノのモヨウから民族文化を探ります。どうぞご参加下さい。
「風水土のしつらいて展」
●5月18日(水)→22日(日)
●大丸ミュージアムUMEDA[大丸梅田店15階]
(午前10時~午後8時/最終日は午後6時閉場)

ティモール テキスタイルも参加します。
5月18日(水)午後5時30分からは「民族の布のお話~モヨウにしるされたコト」と題し、お話しをさせていただきます。
ヌノのモヨウから民族文化を探ります。どうぞご参加下さい。
“日常の旅”と“非日常の旅”
道を歩いていても、バスに乗っていても、食堂に入っても、どんな場所ででも、
そこで暮らす人々の生活の空気をむやみに乱したり引っ掻き回さないようにと丁寧に旅をする。静かに入り込み、静かに立ち去る。
赤いパスポートを携えて、訪れることを許されたということをいつも胸に畳みこみ、旅する日々の営みの小さな出来事を楽しむ。
これは“日常の旅”。
ところが、村に入ってお世話になったり、お祭りや結婚式、何かの儀式に招かれたりすると“日常の旅”とは違う世界に入り込んでしまう。
“ケ”から“ハレ”の場所に転送してしまったのだから、わたし自身も変身しなくてはならない。これは“非日常の旅”。
今まで歩いた経験では、踊りを好む人々と歌を好む人々がいる。
インドネシアの東に拡がるヌサ・ティンガラの島々の人々は踊り好き。
テンポの早い銅鑼と太鼓の単純で強烈なビートにあわせ、腰を沈め、地面を踏み固めるかのように足を踏み、鳥の羽のように腕を左右に舞わせる。
変身したわたしは、村の人と一緒になって踊る。こうなるとトリックスターよろしく真剣な踊り手になる。
インドシナの北部では歌を好む。お祭りの席でお酒がすすむと「歌を唄え」と声がかかる。十八番は「お座敷小唄」と「十九の春」。
歌詞はその都度いい加減にかわっていくのだけど、民謡や邦楽の音とリズムは、同じアジア人の耳にストレートに響くようで評判がいい。
こちらが唄えばあちらも唄う、時には「もっと歌え歌え」とひとりで唄わされる。
注がれるお酒を大地の神に献酒しながら。
よその地で、いつも与えてもらい、教えてもらい、旅をさせてもらっている。
こんな時は感謝をこめて祈り、祝い、歓びをお返しする。
“日常の旅”と“非日常の旅”変身回数が多ければおおいほど、ことは深まってゆく。
彼らとほかの土地の人々、彼女たちとわたし、なにが同じで、なにが違うのか?
この類似と差異は、人から生まれてくる布にも繊細に表れてくる。
踊りと歌、どこでもご披露いたします。変身の必要があるときには。
ゼッケン23番勢いよく飛び出しました。
女の場所での宴会。
こちらは男専用。
ご先祖様に祈りを捧げてから、男の役目。
そこで暮らす人々の生活の空気をむやみに乱したり引っ掻き回さないようにと丁寧に旅をする。静かに入り込み、静かに立ち去る。
赤いパスポートを携えて、訪れることを許されたということをいつも胸に畳みこみ、旅する日々の営みの小さな出来事を楽しむ。
これは“日常の旅”。
ところが、村に入ってお世話になったり、お祭りや結婚式、何かの儀式に招かれたりすると“日常の旅”とは違う世界に入り込んでしまう。
“ケ”から“ハレ”の場所に転送してしまったのだから、わたし自身も変身しなくてはならない。これは“非日常の旅”。
今まで歩いた経験では、踊りを好む人々と歌を好む人々がいる。
インドネシアの東に拡がるヌサ・ティンガラの島々の人々は踊り好き。
テンポの早い銅鑼と太鼓の単純で強烈なビートにあわせ、腰を沈め、地面を踏み固めるかのように足を踏み、鳥の羽のように腕を左右に舞わせる。
変身したわたしは、村の人と一緒になって踊る。こうなるとトリックスターよろしく真剣な踊り手になる。
インドシナの北部では歌を好む。お祭りの席でお酒がすすむと「歌を唄え」と声がかかる。十八番は「お座敷小唄」と「十九の春」。
歌詞はその都度いい加減にかわっていくのだけど、民謡や邦楽の音とリズムは、同じアジア人の耳にストレートに響くようで評判がいい。
こちらが唄えばあちらも唄う、時には「もっと歌え歌え」とひとりで唄わされる。
注がれるお酒を大地の神に献酒しながら。
よその地で、いつも与えてもらい、教えてもらい、旅をさせてもらっている。
こんな時は感謝をこめて祈り、祝い、歓びをお返しする。
“日常の旅”と“非日常の旅”変身回数が多ければおおいほど、ことは深まってゆく。
彼らとほかの土地の人々、彼女たちとわたし、なにが同じで、なにが違うのか?
この類似と差異は、人から生まれてくる布にも繊細に表れてくる。
踊りと歌、どこでもご披露いたします。変身の必要があるときには。




ただただ、布に会いたくて




ただただ、布に会いたくて・・・
布旅の始まりは いつもここから
バスターミナル=バス 道路
駅=列車 線路
港=船 海
空港=飛行機 空







