TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

チン・カミ族の民族衣装

パジャマのような日常着を着ていた13歳のネダジョーが美しく化粧をしてその変身した姿を披露してくれました。



けしてお願いしたのではないのです、

ご両親が、娘の民族衣装姿を見てくださいと、

母に言われて、着替えるのちょっとめんどくさそうにしていましたね。

パジャマ姿とは別人のようですよ、ネタジョー。







チン・カミ族

“布"という合言葉で扉が開くかのように、どこを訪れて家の中に招き入れてくれる。

  布は民族文化だから、そしてわたしがひとりだから・・・



食事、憩い、睡眠・・・信仰、この高床の木造家屋の中には人々のむかしからの生活が染み付いている。





2011年12月15日にシッタウェーで開かれたイベントのビデオを観せてくれる。

女性は胸当、腰布、ショールにベルト、男性は貫頭衣に黒いズボン姿で、田植えから収穫までの様子を踊っているという。

あれっ!女性の民族衣装は伝統そのものだけど、男性の黒いズボンはとっても不自然、

ミャンマーの日常生活の中でもズボンじゃなくてロンジーなのに・・・チン・カミ族の男性は貫頭衣に褌を巻いていたはずなのだから。







 

カミの女性用胸当。   NOT FOR SELL





男性用の褌はある?わたしはMANTLES OF MERITからコピーしてきた布の写真を取り出して見せる。(まるで人探しのような布探しなのですが)

そんなものはとうに無くなってしまったよ。ほれ、今はロンジーさ、ミャンマースタイルよ。



カミ・チン族の伝統の踊りの時に、貫頭衣にロンジーを組み合わせない理由が妙に納得できる。

ロンジーはミャンマーで、黒いズボンはミャンマーじゃないから。

民族衣装を着ることはチン・カミに戻ること、そのためにはミャンマーから離れなければならない。

黒いズボンは、国と民族の埋めきれないはざまを黒く塗りつぶしているかのように思えて仕方なかった。

 

(ロンジーとは綿素材で格子の伝統的なミャンマーの腰布、写真の男性が着用)

ペイズリー文様 発生と展開  文化学園服飾博物館

文化学園服飾博物館の展示会



ペイズリー文様 発生と展開

THE EVOLUTION OF THE PAISLEY PATTERN PAST AND PRESENT



2012年1月27日(金)→3月14日(水)

協力:エトロジャパン



開館時間/10:00~16:30(2月10日、2月24日、3月9は19:00まで開館、入場は閉館の30分前まで)

休館日/日曜日・祝日(ただし3月11日は開館)

入館料/一般500(400)円、大高生300(200)円、小中生200(100)円※( )内は20名以上の団体料金

ギャラリートーク/2月18日(土)、3月3日(土)各回13:30~(先着30名)











ペイズリー文様とは、先端が片方に曲がったしずく形の文様を指します。

ペイズリー文様の起源は、インド北部のカシミール地方の華麗な花文様でしたが、徐々に様式化し

さらに18世紀に入ってインドの染織品がヨーロッパや周辺地域にもたらされたことで、それぞれの地域に広がりました。

展示では、起源となったインドの花文様からヨーロッパで流行した細長く複雑なデザイン、アジア・アフリカ各地域で

取り入れられて独自の解釈が加わったものまで、ペイズリー文様の変化と地域的な広がりを紹介します。

(文化学園服飾博物館 展示会リーフレットより)







「布の記憶 江戸から昭和ー受け継がれる用美」 森田直 著





家主不在中にいただいた郵便物、年賀を含めてお返事が遅れこころ苦しく思っています。





そのなかに、消印がないのでいつ届いたのかは不明だけど出版社から本のご案内。



「布の記憶 江戸から昭和ー受け継がれる用美」森田直 著



古民芸もりたに赴いて『「布の記憶」下さいと』言いたかったけど、

こちらも帰国したばかりの身、布と情報の整理とまじかに迫った展示会で自主的軟禁状態。

かと言って、待つことなどは到底できず・・・・アマゾンアマゾン・・・。本日到着。







古民芸もりたへ出かけよう。森田さんがひとりで集めた大切な布を見せてもらいに、胸いっぱいの感想を抱えて。

「布を旅して」 ~ギャラリー集~

ティモール テキスタイル展示会のお知らせです。



「布を旅して」~ギャラリー集~



2012年2月18日(土)→2月26日(日) am11:00-pm6:00

高砂市米田町米田40-5 KITANO-HOUSE E号









18(土)19(日)20(月) 画廊&フリートーク 岡崎真奈美 ティモール テキスタイル



2年ぶりのギャラリー集さんでの展示会です。

皆様のご来廊を心からお待ちしています。





タジェンとの出会い

タジェンとの出会いが、今回のミャンマーの布旅を豊かにしてくれました。

布は、人種も国籍も年齢も性別も肩書きも関係なく、名前さえ名乗る必要なく人と人を結び付けてくれます。

「布」という言語は、その言葉に触れ感じ見るものに共通の場所と信頼を与えてくれるようです。



タジェンは力強い瞳、細い体に長い黒髪を背中に垂らしたチン族の娘。



「チン州には政府の許可とガイドなしで訪れることは出来ないけれど、

チン州北部とのボーダーを隔てたヤカイン州にもチン族が住んでいて、そこにはボートで行くことが出来るわ」



タジェンのこの一言でミャンマー滞在の予定が決まりました。

「ヤカインへ行こう、シットウェーへ、ミャウーへ」







ヤンゴン





チン族の布

今回久しぶりにミャンマーへ向かったのは、2008年にバングラデッシュに出かけたときと同じように、

それはチン族の人々の暮らしのなかに自分の目で布を確かめることが出来たらと、そんな思いからでした。



チン族と呼ばれる人々はミャンマー西部、バングラデシュ東部、そしてインド北部の国境地帯に現在は居住していますが、

18世紀以前にはどこに住んでいたかも不明で、まだまだ多くの秘密のベールに包まれているといわれます。



身に纏う姿、織っている様子、そして家々で大切に保管されている布を一枚でも見せていただけることが出来たら・・・、

「ああ、チン族の布がチン族の人々とともにある」

布が、生まれた場所を離れてしまう前の布の活きた本当の姿をひと目でも見ることが出来たら、なんて幸せでしょう。

ただそれだけです。



チン族の住む国境エリアは各国政府の許可が必要で、外国人の自由な旅行は禁止されています。

バングラデッシュでは政府の許可の必要のない、ひとりで自由に旅できる範囲でそれを叶えたいと願いましたが、

ミャンマーとの国境に近いチッタゴンヒルズのバンドルボンの町は警察や軍人の姿が多く、

「ここから先、外国人は町から出ることは禁止されている」の一言で断念しました。

バスターミナルで「チン・ムロ族の住んでいる村はここから近いのですか」と尋ねてみると、

「数十キロか先に、伝統的な藍染のお尻を隠す程度の腰布を巻いた人々が暮らしている」と答えがありました。

その言葉がどんなに嬉しかったでしょうか、その真意は定かでなく、そこに行けないとしても。

それから3年半も過ぎてしまいました。



ミャンマーも外国人は自由に旅することは出来ません。

これは外国人だけではなくミャンマー人にも適用されています。

たとえばヤンゴン管区に住むインド人がヤカイン州に行くにはやはり許可が必要で、

もし許可なしで出かけると、ヤンゴン管区に再び入ることが許されないそうです。

ミャンマー人であってもその人種によって、自由に移動出来る州と許可が必要な州があるようです。



自由に国内を旅をすることが出来ないとしても、とにかくチン族の人々が住む国へ、チン族の布の近くに行きたい・・・。

それは2008年のこの本との出会いが始まりです。



河辺の生活~ミャンマー~

ミャンマー南西部、バングラデッシュとの国境に近いヤカイン州のシットウェーからガラジャン河を遡りミャウウへと向かう。

7時間の船旅。外国人に陸路の道は開かれていない。



飲水も、洗濯も、沐浴も、すべて河の水。









ミャンマーからインドネシア、そして日本へ

ミャンマーで新しい年を迎えインドネシアへ、

ミャンマーでは焼け付くような太陽に晒されて、なすすべもなくこんがり真っ黒。

インドネシアでは豪雨の祝福を受けて、水を滴らせる。

北半球は乾季、南半球は雨季。



旅先からのブログ更新、見事に大失敗・・・・すっかりご無沙汰してしまいました。

現地からのブログ更新を今年の目標といたします。







両頬と額に丸く塗ったタナカ(タナカの木を水で摩り下ろしたミャンマーの伝統的な白粉)とクリクリ坊主頭がよく似合う。

弟や妹を抱える兄姉たち。



ミャンマー・ラカイン・ショメー村  2011年12月30日