あらっ、よく見ると長い糸が頭上から垂下がり、顔を動かすたびにゆれている・・・。
針や糸や布、刺繍のための付属品を商いながら、自ら刺繍にいそしむ、その髪には針が刺さっていました。
宝髻=針山
宝髻のかたちはまさに針山そっくりで、針は刺しゅうをする人々にとってなくてはならない道具。
刺しゅうが上手くなりますようにと、針を大切にして思いを込めてひと針ひと針刺してゆく。
針を宝髻に納めるなんてとても理に適った組み合わせ、針の神様もさぞかしお喜びのことでしょう。

松岡美紗さんの「衣(ころも)風土記」Ⅰのなかに、開拓地の人と“アットゥッシの衣一枚と針2本を交換した”とあり
オヒョウの皮剥ぎからはじまり、糸を績み、機を織り、仕立てて刺繍して、それはそれは長い時間と手間をかけて作られた衣が、
たった2本の針の価値しかないのだろうかと・・・わたしも著者同様言葉を失ってしまいました。
今の感覚で考えればなんとも理不尽な取引きに思えてしかたないけれど、必要な針がなく、それが異国から運ばれてくる貴重なものであったならば・・・。
ここにあるモノとないモノ、あそこにあるモノとないモノ、貨幣をともなわないモノとモノの交換は世界中で行われ成立していたのも確かなこと。
「それでも、針がなきゃイカラカラが出来んから、仕方がなかった」(イカラカラとは刺しゅうのアイヌ語である)
「衣(ころも)風土記」Ⅰ P24より
中国にお出かけの時は、どうぞ針をお土産にお持ちください。
とっても喜ばれますよ。

衣(ころも)風土記 Ⅰ 松岡美紗
法政大学出版局