TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

Atoni

Atoni 「アトニ」という音の響きが好きです。

カタカナ読みだと単調ですが、発音はアッと息を吐き、トにアクセントを置き最後にニです。

アトニは、インドネシア ティモール島の西側山間部に多く住む人々のことで、一般的にティモール人というと彼らのことをいいます。

本来「人・男」を示す彼らの言葉で、アトニ以外のほかの人たちと区別するために“アトニ”と呼ばれるようになりました。





西ティモールにはアトニ人のほかにヘロン人、島のほぼ中央にはブナック人、ケマック人、そして東ティモールにはテトゥン人が住み、

それぞれが独自の言語を持っています。



ティモール島は、アトニの言葉で、“パ メト”と呼ばれ、パは土地 メトは乾いたという意味で、「乾いた土地」となり、

これにアトニを加えて“アトニ パ メト”「乾いた土地の人」はそこに住む自分たちアトニのことをいい、

“ウアブ メト”となると、ウアブは言葉の意味なので「乾いた言葉」、アトニの話す言葉、

また別の呼び方としてはテトゥン人によって呼ばれるアトニ人の言葉“ダワン語”とも言われます。



これは“アイヌ”という言葉が「人・男」を意味し、自分たちの住む場所を“アイヌ モシリ”「人の住む土地」と呼んだことと共通しています。

アイヌの住む場所を日本人は蝦夷地と呼び、アトニの住む場所をポルトガル人はティモールと呼び、

それはマレー語の東を意味する“ティムール”からの転用でした。



多くのティモールの友人たちは、アトニ パ メト「乾いた土地の人」で ウアブ メト「乾いた言葉」とインドネシア語を話します。

機の各部分の名称、織リの技法、文様や織物の名前、染めの材料などはすべてアトニの言葉ダワン語で、

それをインドネシア語ではなんと言うのは知りません。

このことはティモールだけではなく、周辺のフローレス、スンバなどでも独自の言語を持つ人々は独自の染織用語を持ち、

織りの仕事がどこかからの借り物ではなく

しっかりとその土地と結びついていることを確認することができます。







わたしのインドネシア語は、アトニの人々とのコミュニケーションのなかでひとことひとこと拾い上げて覚えたものです。

それは市場言葉だったり、村言葉だったり、またティモール島周辺でだけでしか使われない方言であったりします。

「ベタ ピー ソバ」カタカナにするとちょっと笑える音ですが、

ベタはクパン語で「わたし」インドネシア語なら「サヤ」アトニの言葉ダワン語では「アウ」となります。

クパンはバリ島から東に広がるヌサ・トゥンガラ・ティモール州の州都でティモール島の西の海岸線に位置し、この街ならではの言葉がいくつかあります。

ピーはインドネシア語のプルギ「行く」を短くしたアトニ人独特の言い方で、ソバはダワン語で「市場」インドネシア語では「パサール」

なので、「ベタ ピー ソバ」は「わたしは市場に行く」となります。





ティモール以外の島の人やアトニの言葉ダワン語を知らない人にとっては意味不明、

もちろん学校教育をきちんと受けていたり、お役所勤めの方々はこんな混乱した言い方はしませし、

そのような方が師であれば、わたしのインドネシア語も洗練されていたでしょうに。



わたしのインドネシア語のそして織物の師でもある、今でも伝統的な腰布を巻く愛すべきアトニの村人たちは、

自分たちは立派にインドネシア語を話していると思っているのです。

そして師たちはわたしのインドネシア語も随分上達したものっだと思ってくださっています。



時々、片言のダワン語を交えて話をすると師たちは「危ない危ない、ダワン語を覚えてきた]と・・・。

知られてはいけない秘密が、まだまだここにはありそうです。