日曜日の朝、村を訪ねると“グン ハオ”と呼ばれる高床式の大きな集会所に人々は集まっていました。
家の掃除、飲水、寝るときは蚊帳を張ってマラリアにかからないようにすることなど、衛生面の指導に町から役人が来ているよう。
そんな集まりの妨げにならないように“グン ハオ”のある広場を横切って、村のなかへ続く道を歩いてゆきます。
何も期待はしていなかったのです。
織りをしている女性の姿も、伝統的な衣装を着装してる人々もすでに消えてしまったのではと・・・。
家の前に干してある洗濯物のなかに、カトゥ族の伝統を織物を見つけます。
「ああ織物がある」
ビーズ模様の入った織物を巻いて、子供を背負った若い母親が前から歩いてきます。
「ああ、織物が生きている」
女性はなにも言わず、表情も変えずに静かによこを通りすぎてゆきます。
わたしも村の空気を掻き乱さないよう、村の土を蹴散らさないようとゆっくりとからだを進めながら、
織りをしている女性を、織物を纏っている女性を、そして織物を探します。
開いている扉を覗くと、たて糸の掛った機が丸められて無造作に置かれています、が織手の姿はありません。
それでもだんだん近づいてきたかなと心で呟きながら、織りをしている女性を探します。
そして、
軒先に茣蓙を敷いて開脚で座って織りをする姿が眼に飛び込んできました・・・。
なんてシンプルでコンパクトな機なのでしょう。
たて糸の一方を支える棒は背中に回した腰帯で引き、もう一方のたて糸を支える棒は開脚した足の裏で支えています。
腰から足の裏までの距離が織りをするときのたて糸の長さ。
大きく開いた足の指、そして足の裏はまさに2本の棒を摑み、足首は反ったり返ったりしながらたて糸のテンションを調整しているようで、
その風にひらめくような優雅な足首の動きに見惚れます。
からだが機のフレームになり、からだ全身で織っています。
ベトナム中部、ラオスとの国境に近い場所に“カトゥ”“タオイ”の人々は暮らしています。
モンクメール系の人々で、黒布に白いビーズの模様の入った伝統的な織物は
女性はベストとスカート、男性はラインクロス(褌)、
その織り方は“ひと機”とか“からだ機”と呼ばれるように、人の体そのものが機として組み込まれます。
彼女はわたしの突然の訪問にからだを休めることなく仕事を続けます。
邪魔にならないように座り込み、一連の流れを追います。
たて糸もよこ糸も黒で、黒いよこ糸には白いビーズが通してあります。
よこ糸を打ち込む前にたて糸の上で、文様の形をつくるために必要なビーズの数を数え、その分だけをたて糸に打ち込み、
あとは必要な部分に指であわせてたて糸の間に埋め込んでゆきます。ひとつひとつ。
横から見ても、前から見ても、真上から見ても、織りをするその姿は三角形で、
見えないエネルギーの膜の張った小さなピラミッドのなかにいるようです。
カトゥの村といっても、洋服を着ている人々がほとんどです。
織りをしている女性も、伝統的な織物のスカート(ビーズなし)をはいていたとしても上着はパーカー、
同じ村の女性に「織物をしますか?」と聞いても「簡単に服は買えるから」と答える人の横で、無心に自分の布を織る女性がいます。
衣料品が手軽に手に入るようになり洋服を着ているのは当たり前のことです。
自分でつくらないと着るものがないのなら、上手い下手に関係なく女たちは身に纏うための布をつくらなくてはなりませんが、
そんなことをしなくても楽に手に入るのです。
そんななか、色々な民族の中で自分のため家族のために布を織る女性に出会うと、
とても高い意識と誇り、そして強さを感じます。
以前ならば民族全体としての強い力に引っ張られて行われていたモノ、ヌノつくりも、
それが希薄になってしまったいまでは“個人”の力が重要になってきます。
彼女の年齢は、本人と周りの人の証言によると25歳、子供は3人。
日を数えながら織物をしているわけではないのですでにどのぐらいの月日、年月が経っているのか・・・2年とも・・・。
このからだ機では、いくら慣れていても一日に1時間から長くても2時間・・・そしてほかにも家の仕事はたくさんあるのです。
わたしは時間を忘れて彼女の織りを見ていました。
そろそろ引き上げなければと思いその場を一瞬離れ、戻ってくると、
彼女はからだから機を外し片付けていました。
立つとわたしの肩ほどしかない女性は、わたしが見ていることで織りを止められなかったのだと気づき、
その優しさに切なくなります。
そしてこの小さなからだだから“からだ機”が可能なのではと・・・。
子供は織りをする母の背中に寄りかかり抱きつき、それでも母は何も起こってはいないかのように仕事を続けます。
織りをする女性を邪魔すもモノはなにもないのです。