TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

ズボンを捨てよう、布を巻いて町にでよう ~西ティモール~

ソエの町に村から下りてきた父と娘。

お父さんの肩と腰に巻いている布の模様から、彼らがアマナトゥンのヌンコロの住人だと知ることが出来ます。



ティモールのアトニ人の習慣でしょう、村の外に出かけるときは独りではなくこんな風に幼い子供の手を引いる姿をよく見ます。





娘は赤にフリルの付いたブラウスにショートパンツにサンダル、

お父さんは裸足に肩と腰に伝統の布、そして黄色いポロシャツ・・・、



昔々は上半身は裸で、寒ければ腰布と同じように体に布を巻いて暮らしていた彼らに、

「それは野蛮なことです」と宣教師たちは言いました。

その結果、シャツ、Tシャツが織物にコーディネートされるようになり、こんなちぐはぐなファッションが生まれたのです。





若いと思える男性が伝統的な布を巻いている姿を見かけるっことはなく、彼らは皆現代的なズボンを好んで愛用しています。

「きっと、もう布を巻く男たちの姿を見ることもなくなってしまうのだろう」といつも嘆きながらティモールに通い続け、

予定ではいなくなってしまうはずの布を巻いた男たちに今でも出会うのです。



年をとるとズボンを捨てて、布に回帰している村人もいるよう。

「ズボンを捨てよ、布を巻いて町に出よう」







ビルマ族の布

ミャンマー、ビルマ族の美しい波文様の布。

シルク素材の高度なインターロックタペストリー織りは王族の布として作られていました。

オリジナルはビルマ最後の王朝マンダレーのコンバング時代に遡り(1752-1885)、

王朝内で反乱が起こり、ヤンゴン南東のモーラミャインに織手を連れ逃げたことから、

モーラミャインでも織られるようになりました。

マンダレーでは布の平面な方を表とし、モーラミャインでは織りの表情のある方を好んで表とすると教えられました。





このような波文様はjoe-gee-jay ジョジジェ(joeは糸、geeは大きい、jayは波)といい、ミャンマーの多くの布のデザインに用いられています。

シルクにこの文様を前面に織り込んだ衣装のための最高級の布はluntaya acheik(ルンタヤ アチェイク)と呼ばれています。



シルクで織られた赤・緑・ピンクの美しい波のグラデーション、

宮廷の気品が漂う古い布です。









品番7546 97×31



西ティモール アマナトゥン ヌンコロの布

なんて過激な布。

飛びぬけた色の配色、目を奪う文様、巧みな技法、何が織手をここまで執拗に布を織ることを煽るのでしょう。

地織の経糸にピンクと水色に黒を掛け、縫取織部分の地織りの緯糸には黒を通し、

黒やピンクと水色の上にカラフルな糸で伝統的なヌンコロの文様がが描かれています。

そして途中から技法は変わって、綴織に金糸を絡ませながら尻尾を巻き、五本指の爬虫類の姿があります。

117㎝×28㎝の布は多分肩掛けとして織られたと思われます。





見れば見るほど小さな狂気を感じます。

アウトサイダーテキスタイル

だからティモールなのです。





   

「The book of looms ~A History of the Handloom Ancient Times to the Present ~ 」 ERIC BROUDY

機・布の組織の本を検索していたら、興味深い本に出会いました。







本を購入するたびに、本当に読めるの?読んでも読んでも忘れてしまう・・・と嘆きの日々です。

そんなときは、菅啓次郎さんの「本は読めないものだから心配するな」と言うタイトルに魅かれ購入し、

棚に置かれたままの本のタイトルを見て安心しています。





大丈夫、

本は読めないもの、

布は巻けないもの、



皆さんも心配しないで本と布、ご購入ください。







「世界の織機と織物」 資料篇 国立民族学博物館

昨年、国立民族学博物館で開催された特別展「世界の織機と織物」の待ちにまった図録が出版されました。

からだ機、手機、足機、腰機・・・と世界中の機が体系的に分類されて、人と機、民族と技法の関係、ここではどうしてこの機でこの技法なのか・・・、

1ページをじっくりと、また他のページと比較しながらめくってゆくと、新たな発見があるかも知れません。