TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

モンキーマスク ~インドネシア 西ティモール~

7~8年前に立て続けに数点の同じスタイルの面に出会った。

瘢痕のようにドット模様が顔の周辺に彫られ、

目は丸く、口は横長に刳り抜かれただけの丸く裏から見るとお盆のようなその単純な表現に猛烈に魅かれた。

西ティモール マラカ県 ベル地方の伝統的な面だと教えてくれたのは、

この面を見せてくれたベルに隣接するTTS県に住むアマナトゥンの友人だった。

どのようなルートで彼の手元にあるのか?そしてこの面は何なのか?

面に夢中になっていたわたしは質問することなどすっかり忘れていた。

こんなことは多々あることで、宿に持ち帰って興奮が冷めた頃にやっと色々な質問が浮かんでくる。



最近見つけた本、1991年にOxford University Pressから出版された Indonesian Primitive Artの1ページに、

この面のかなり古いと思われる写真を見つけた。

写真の下には“Timor monkey mask.Wood Height 18.5cm.Tatiana Gallery Singapore"

多分このドットの作る線が、サルの顔に似ていることからモンキーマスクと呼ばれるのだろう。

ティモール人が?それとも蒐集した人が名づけたのか?はわからない。



手元にある面とほとんど大きさは変わらないが、写真の面は随分煙に炙られ黒光りし、

両方の端に紐を通すための穴が開けられ、左側の一部が欠けている。





伝統のかたち、それ以来現地では一度も出会うことのない面を、本のなかに見つけた。

また探してみよう。







Indonesian Primitive Art

IRWIN HERSEY

Oxford University Press 1991年



面写真

No29 “Timor monkey mask.Wood Height 18.5cm.Tatiana Gallery Singapore"

飾られる祖先の面 ~インドネシア 西ティモール~

西ティモール モロのファトムナシの長アニン老人の家を訪ねる。

ここは西ティモールで一番高く(2427m)、アトに人にとっても象徴的な意味をなすグヌン ムティス(ムティス山)への入口でもある。

グヌン ムティスには祖先の財宝が隠されていると伝えられ、神聖な力に守られた場所には誰も盗みに入ることは出来ないといわれている。



円錐形に地面まで垂れた萱葺の家はルマアダット(伝統の家)と呼ばれ、中央の柱にはお面が掛けられ名前が彫ってあった。

西ティモールの原始的な面はさまざまな用途に使用される。

お祭りのときに被るものや家の飾り物として、また子供たちが自由にどこでも行けないように木にお面を掛けて脅かすため・・・、

などの話も聞いたことがある。すでに今の子供たちには通用しないかも知れないが、

森のなかで不気味な面が突然現われたらやはりギョッとすることであろう。



家の主人アニン老人に「この仮面は何ですか?」と訪ねる。

「これはわたしのお祖父さんの顔を彫ったものです。ロテ島の腕のいい人にわたしが頼んで彫ってもらったのです、お祖父さんのことを忘れないように。

お祖父さんはこの村ではとても尊敬された人で、道の名前にも“サニ アニン”と名前が付けられています」



このお面は祖先の写真の役割をしている。

西洋の歴史では写真以前は絵画や彫刻で偉大な人々や神々を記憶してきた。

西ティモールでは木面や木彫がその役割を果たしている場合も少なくはない。

わたしたちの目にはすでに見えなくなっしまったものと話しが出来た人々、

それをかたちにした面には祖先の、自然のスピリッツが遠慮なく住処として入り込んだであろう。



“プリミティブアート”



空洞な眼孔、軽く開かれた口元、面はトウモロコシと一緒に人々の生活の中央に飾れ火の煙にいつも炙られている。

わたしは煙が染みて目も口も開けていられなかった。





  

布を探して~ミャンマー~

ミャウウからボート乗り場のあるネジャ村まで馬車で一時間。

ここからネモ川を上って村に向う。この地域への外国人旅行者の立ち入りは2000年に始めて許可され、情勢により一時閉じられたこともある。

ボートに乗って3時間、シャン族のパンバオ村に到着。

船着場から村に続く垣根には白にベージュの縞模様のシンプルな3枚接ぎの手織り布がそれに良く似た工場製品の布と一緒に日干しされている。



顔の写真を撮らせてくれた、美しい蜘蛛の巣文様の刺青を顔に持つ女性に「布はありますか?」と尋ねると家に招き入れてくれる。

高床式の簡素な家は、床も壁も透けていて外と内との境界は曖昧だ。

籠、素焼きの水甕、プラスチックの袋、壁に無造作に掛けられたシャツやズボンの古びた洋服はここが最後に流れついた終着点のように山積みになっている。

そして長い間使われずにただただ同じ場所に片付けられることもなく放置された蜘蛛の巣の掛かった紡錘車。

彼女は日々肌掛けとして使っていると思われる2枚の布を拡げ、それは使い込まれ、接ぎがあり、端は擦れて、

「この布はとても丈夫で20年30年40年50年と使える」と教えてくれる。

その古びた布と分けて丁寧に畳まれている布が目につきそれを指差して「見せてくれますか?」と聞くと、

「これはお客様用の布で我家にはもうこれしかないのです。なのでこれをお譲りすることはできません。今ではもうここには木綿はなくなりました」

木綿を栽培して生活のための布作りは50年くらい前には終わってしまっているようだ。

垣根に掛けられた擦り切れた布はどうやら50年以上前に、女たちがまだ顔に刺青をしていた頃に織られたもののよう。

身体的・精神的な苦痛に耐える力とモノを産み出す力は絡み合っているのかも知れない。

強さと美しさが同じであるように。



  

蜘蛛の巣の模様の刺青~ミャンマー~

刺青は少女時代に村の女の手によって一夜と2日かけて彫られたという。
顔は腫れ上がり、熱を持ち目を閉じることも口を開くことも出来なかったと。


刺青を顔に刺すことで醜くなり、敵から身を守るためにそれは17世紀終わり頃から始まったと云われる。
強い誇り、敵に獲られるよりも強烈な痛みに耐えて顔に刺青を刺すことで醜くなる。
もちろん少女たちの意思ではなく、自分たちの血を守るために行われたことであった。




バングラデシュとの国境に近いミャンマーのショメー村では、6人の顔に刺青を持った60から70代のシェン族の女が暮らしている。

ビルマ族の布



joe-gee-jay ジョジジェと呼ばれる波文様の腰衣。

60×43(筒幅)の小さなサイズは子供用のものであろうか。

織りの表情のある方を表に仕立ててあるのでヤンゴン南東のモーラミャインスタイルと考えられる。

7列の筋をなして流れる豊饒な波の狭間に花が咲き、花は銀糸で飾られている。

晴れの場でこの腰衣を巻いた少女の澄ました姿が想像される。









7543 60×48( 筒幅) HP カタログ掲載の布 Sold out

横たわる頭部 ~インドネシア 西ティモール~

杖・匙・蓋・櫛・・・どんな物でも顔を持つティモールの道具たち。

道具をつくるとき、よきパートナーとして共に仕事をしてくれるよう願いを込めてその顔を彫るのだろうか。



これは?棍棒か?

怒っても泣いてもない静かな無表情は、与えられた仕事を全うしてきた顔であろう。







仕事を終え、これからは横たわっているのもいい。

THE WOMEN

エドワード・S・カーティスの作品展、「アメリカ先住民の肖像」を写真歴史博物館で開催されているのを教えていただきました。



そこで写真集「THE WOMEN」のご紹介。

エドワード・S・カーティスの撮った、アメリカ先住民の女性写真だけを編集した写真集。

布・髪・暮らし・・すべてが美しすぎる女性たち。









   



                                                        Edward S.Curtis

                                                        「THE WOMEN]

                                                        Bulfinch Press