TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

「布を巻いて、何処に往く」DM写真

ホームページトップの白黒写真を11月22日から始まる「布を巻いて、何処へ往く」のDMに使用した写真に更新した。

写真のデータを見ると、1998年9月21日(月)午前、アマナトゥン・ヌンコロと記録されている。

今から15年前のティモール。彼らの視線を受けるンズの後ろにわたしは立っていた。

それは現在も進行形で続いている。

年月を数えると随分長い時間が過ぎ去ったが、アスファルトの切れた山道に入ってゆくとこの写真のような装いの村人に今でも少なからず出会うことが出来る。

剥き出しの乾いた大地、硬くなった裸足の足、腰から揺れる布、肩に下げるびんろう樹を入れる袋、

ボタンの付いたシャツ、厚い唇、広い鼻腔、大きな目、縮れた髪、銅色の肌。

アトニと呼ばれる西ティモールの人々。

彼らの生活は変わって行く、さてわたしの方はどうであろうか・・・と考える。



鉤文様

西ティモール アトニ人の伝統的な鉤文様。

先端がくるっと内側に巻いた鉤・角のような形が特徴的で、

小さな鉤がウネウネと細かく連続しながら布一面を覆う文様をカイフ・アナック(小さな鉤)、

大きな鉤を四方にドンドンとぶら下げたような文様をカイフ・ナエック(大きな鉤)と呼び、それらにはさまざまなサイズとカタチがある。

鉤紋は地域によって村によって、また同じ姓を持つ一族の模様としてそのカタチが分かれていたようであるが、

今では村人に聞いてもはっきりとした答えを得ることは出来ない。

ただアマナトゥン地方のカイフ・ナエック(大きな鉤)のなかでもパンブアットと呼ばれるカタチがあり、

その動物の乾いた骨のような文様は、他の鉤紋よりも“古い”と教えられた。

そのせいもあるのだろうがパンブアットにはどこか呪術的な気配が漂う。

一般的に鉤紋は人々の繋がりや絆を意味するといわれているが、

それらのカタチには燃える炎や増え続ける固体、動物の骨や角などの生の強い力を感じずにはいられない。

















「布を巻いて、何処へ往く」~ティモール テキスタイル~

ティモール テキスタイルの展示会



「布を巻いて、何処へ往く」

2013年11月22日(金)~25日(月)

12:00~18:00











布を巻いて、人々は何処へ往くのだろう。

乾季も雨季も、嬉しいときも悲しいときも、体に布をなびかせ暮らしてきた人々は、

これから何処へ往ってしまうのだろう。





ティモール テキスタイルの事務所での展示・即売会です。

ティモール島の布と形をご紹介します。

ご案内をご希望の方はどうぞお気軽にご連絡ください。⇒info@nunona.com



腰機のアトリエ

8月に中国貴州省から帰国して、ノートに書きっぱなしのメモと撮りっぱなしの写真の整理が追いつかないままに9月から展示会が始まった。

展示会がはじめると展示のタイトルにあわせて布をセレクトし、その布たちを一枚一枚チェックし必要があれば修理をして気になることがあれば調べ物をする。

こうなるとどっぷり布漬け生活で、紙も文字もパソコンも画像も隅っこの方で小さくなっている。



気がつけばすでに11月も中旬、

次の布旅に出掛けるまでには前の分の整理をしておきたいとノートと写真画像を見るのだが、

3ヶ月前のことなのに記憶がかなりあやしくなってきている。もう何年もどこに出かけてもこの繰り返し。

現場にいるときは出来るだけ多くの情報を持ち帰ろうと躍起になっているのに、それで満足してしまっている傾向もあるような、

整理したところで集めた内容は自己満足程度のものなのだけど・・・

あまり気負わずに気が向いたときに少しずつまとめよう。



と言うことで中国を後回しにしてティモールのこと。

ホームぺ-ジトップの白黒写真を久しぶりに更新した。

家の前で腰機または原始機と呼ばれる織機で布を織る女性の写真。

椰子の茣蓙敷いて座り腰でたて糸の一方を引っ張り、もう一方は地面に突き刺した木に引っ掛けている。

写真でも解るように機には難しい仕掛けは一切なく、たて糸に数本の細い木の棒が差し込まれ、たて糸の張り具合も織手が自分の体で調整する。

この機では機本来の最低限の機能、たて糸とよこ糸を交差させることしか出来ず、もし模様を織り込むのであればそれはすべて人の手で行なわれる。

機は織物をするための補足の道具で、主体はあくまでも織手にあるといっても過言ではないかもしれない。

模様を織込むための仕掛けや一定のシステムを機に組み込まないのだから、織手の技術と根気と時間があればかなり自由な表現が出来る。

たとえば、絣模様を括ったたて糸を機に掛け、そこに縫取織、経糸紋織、綴織などの4種類の技法でさまざまな模様を色々な糸で織り込んで行くとも可能である。

ティモールの織物は地域で技法や文様が決まっているので、それを逸脱した織物はめったにないが、

それでも伝統よりも個人の感性が強く表れている布に出会うこともある。すべての織物は一人の女性の手から生まれてくるのだから。



腰機では、張ったたて糸によこ糸を用いまるで自由に絵を描くように模様を織ることが出来る。

それには人の技術と時間が必要なのだがこれは自給ならではの仕事で、

そこに生産性という言葉が入り込むと、時間と手を省いた織物になる。

織物を織る効率を上げるために機は腰機から高機へとそして機械機へと、

仕事は一人の手で始めから最後の工程までを仕上げるのではなく分業へと、

こうやってモノを生む時間はぐんぐん加速され、人々の生活もドンドン忙しくなってしまった。







写真の女性のような、こんなアトリエではどんな布が織り上がるのだろう。

一日の機織りの仕事を終えれば、たて糸の掛かった機はくるくるっと丸められて壁のほうに片付けられる。

腰機のアトリエは、とうもろこしを搗いたり洗濯をしたり子供たちの遊び場となり、日常の暮らしが入れ替わり立ち代り流れ込む。