中国 少数民族のデザイン -永遠に続く美しさー
2014年1月9日ー4月19日
期間中 木・金・土曜日 開館

リーフレットの写真の布が気になって気になって・・・、
先週の土曜日の大雪の中、まるでチベタンがネパーリーのようと自分でも思うような完全防備の身支度で出かけた。
写真の布を見て一番惹かれたのは“白布”の質感で、それが手で紡いだ木綿であることは写真だけでも十分に伝わってくる。
紡いで織っただけの木綿布のなんと存在感のあること。布の重みや匂いや温度までが感じられる。
もちろん裾を飾る見事な刺繍があるからこそ白の木綿の素材感がより引き出されているのだけど。
刺繍模様は上段は藍の濃淡で四角の面が下段は線で四角が刺されていて、
この幾何学文様の形はどこからきているのだろうと頭を悩ませながら模様をなぞってみる。
あらっ畑、あらっ田んぼが・・・現われてきたかたちに体の力が一気に抜けてゆく。
刺繍の豪華さに引きずられ、その模様の意味も同じように立派なものではなくてはならないと勝手に考えていた。
そして畑・田んぼから思い浮かぶのどかな田園風景やその仕事のようすも、やはり自分の暮らしてきた環境から生まれてきたイメージなんだと気づく。
この刺繍を刺した人々には、畑・田んぼがどのように見え感じられていたのだろうか?
のどかだなぁ~て眺めることも、畑でや田んぼで働くことを仕事しなくちゃなんて考えたこともなかったかも。
畑や田んぼは神様の住む場所でその姿が見えていたかも知れないし、神聖な場所として日々の生活とは分けて考えられていたかも知れない。
だとすると畑や田んぼの模様は神様の家を神様を刺繍していることになる。
これらはすべてわたし一人の模様遊びなので、解釈はまるっきり違っているかも知れないけど・・・。
布を眺めているときいつも、より遠い場所にたどり着きたいと望んでいる。