TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

スンバ 男の布仕事

これまでに人の手で、数えきれないほどの布が作られてきた。

着用する布・死者を包む布・婚資の布・象徴の布・・・

織物・刺繍・・・編物・レース・・・

木綿・絹・麻・毛・・・

男のつくる布・女のつくる布・・・

インドネシア・スンバ島の布は、

[織物+着用する布・死者を包む布・婚資の布・象徴の布+木綿+女のつくる布]の組み合わせで継承されてきた。

布はスンバの支配階級とそれに使える女性たちのみが織り、織られた布は権力のしるしとされていた。

オランダの占領者はスンバ社会の伝統的な慣習に従い織られていた布を商品として輸出することにより、

スンバ人と布の関係性を徐々に違うものにしていった。



プレリウ村では男たちの絣を括る姿がある。

「いつ頃から男の人が絣を括るようになったの?」

「もうずいぶんまえからだよ、20年以上前だよ」



彼らの括る絣はもちろん、家族のためでも自分のためでもなく商品として売るためで、

染めや織りは今でも女性が受け持ち、絣の括りは男女ともに行っている。

[織物+商品+木綿+男のつくる物]の新しい組み合わせの布つくり。

もちろん第一の組み合わせ[織物+着用する布・死者を包む布・婚資の布・象徴の布+木綿+女のつくる布]も機能している。







スンバ島プレリウ村



男のほうが絣を括る指先の力も強く、迫力のあるデザインを考案できるかもしれない。

この先どんな第三の布つくりの組み合わせが生まれるだろう。

スンバの経絣

インドネシア スンバ島の絣は日本でも早くからコレクターの蒐集品対象とされていた。

昨年、日本橋高島屋で開催された「芹沢圭介の世界展」生誕120年を記念の収集作品のなかにも、

見事なスンバ絣が展示されていたと友人が教えてくれた。

残念ながらわたしはその作品を見損なったのだけど。

ちなみに1月21日から2月2日まで大阪高島屋で開催されているが、

50日間の熱帯から帰国した身では関西はちょっと遠い。



スンバ島の絣は経糸に模様を括る経絣で、歴史的な戦いや神話の動物、

マラプと呼ばれる祖霊などが絵画的に表現され、世界でも類のない染織品として知られている。

これらの絣はスンバ島の東部、ランバナプ(lambanapu)、カワング(kawangu)、

mauliru、カル、プレリウ、カナタン、カプンドゥ、レンデ、カリュウダなどの村で今でも盛んに織られていて、

「村は植民地以前のスンバのラジャ(王)が住んでいた場所」とカル村のラジャの血を引くニキは教えてくれる。



スンバの織物に魅せられた征服者たちは伝統的な慣習により支配階級のみが織り、

着用し、使用することが許された絣織物の市場を外部に開き商品化を促進した。

そのことがスンバ人の布の神聖な意味合いが失われていったことは想像に難くなく、

またそれによって多彩なデザインが生まれ、スンバを象徴する模様として現代に受け継がれてもいる。



19世紀後半、スンバ絣はオランダの民族学者、博物館、そしてコレクターに収集され、

またオランダの紋章であるライオンなどの模様が発注され織られるようになる。

20世紀初めには前衛的な芸術愛好家のあいだではよく知られるようになり、

ロンドンのリバティやアムステルダムのメッツのようなお洒落な百貨店で取り扱われていたという。



伝統的にスンバ絣は男性用腰布、または死体を包むものとされ上下の模様が対象であった。

それがオランダが西洋社会に市場を拡大することでタペストリーとしての装飾品の需要から、

模様が上下の方向性をもって織られるようになった。



伝統文化は時代のなかで様々な影響を受け変化し生き残ってゆく。







レンデの布







参考文献 DECORATIVE ARTS OF SUMBA

スンバ 「カド ウマ 」 家の見張り番

蒼穹に突き刺す茅葺の屋根。

この長く伸びた空間にはマラプと呼ばれる祖霊が宿り、その下に人々の生活がある。

家々のあいだには巨石墓が鎮座し、祖霊・人間・死者が一緒に暮す村。

屋根先端の両側にはスンバ語でカド ウマ(家の見張り)と呼ばれる木彫の屋根飾りがその名のとおり家を守る。

茅を葺き替えるときカド ウマも新しくあつらえられる。











西スンバ コディ地方 ワインニャプ村





このような方がこのたび降臨されました。