インドネシアに入って2週間が過ぎた。
日本出発直前に、ご紹介もあってしばらく仕舞い込んだままになっていたアンデスの箱を久しぶりに開いた。2009年にペルーとボリビアを一ヶ月間旅した時に蒐めた布。アジアの布を扱う私が、突然アンデス行きを決めたのはティモールの布たちの色使いや織りの技術が、近隣のアジア諸国よりもアンデスの織物にどこか似ていると感じていたその答えを見つけられたらとの思いからであった。"ペルー・ボリビア"と書かれた箱は、ここ最近ではなかなか展示する機会を持てず久々に並べて触れる布の手触りや模様、色彩にアンデスの旅の記憶が蘇る。なぜかインドネシア行きの前にアンデスの布と戯れていた。
バリに着くと友人から、珍しいティモールの布が入ったから見に来ないかとの連絡を受けた。
一体どんな布なのだろうと出かけて行くと、インドネシアの布の中に一枚アンデスの布が混じっている。友人の説明ではベル地方のモノで馬衣として使われてたという。
情報がなく布を知らなければ、出会った場所が出生地として紹介されることは多々ある。ティモールのベルで出会ったこのアンデスの布の村人の話しを、友人がそのままに信じたことは想像に難しくない。多分その布の所持者である村人でさえ、祖先から受け継いだ大切な布であること以外の情報はなかったのであろう。
わたし自身もティモールとアンデスの布に共通点を感じているのだから、そのアンデスの布は誰にも疑われることなく村に存在していたと思われる。
ティモールのベル地方周辺はカトリック信仰で、ペルー・ボリビアも同じカトリック。それらのことを思案すると、宣教師が持ち込んだと想像してみるのはそれほど的外れなことではない。
わたしは出かける前に戯れたアンデスの布の引き起こした不思議な巡り合わせに、人が動いてはじめてモノも移動する事を再認識させられた。

写真は所有するボリビア スクレ タラバコのロバの背当てです。バリで見せていただいた布ではありません。