TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

女性たちの 文身 ベル ベジカマ

ティモール テキスタイルHP、トップページの写真を変更。



西ティモール ベル県 ベジカマの村を訪れる。腰の曲がった小柄な可愛らしい老婆が茅葺屋根の縁側に腰かけている。白くなった髪を頭の上で一つにまとめ、擦り切れたオレンジ色のブラウスにベジカマの伝統的な経紋織が細く入った腰衣を巻く。藍の枯れ具合や手紡ぎ木綿の糸が随分こなれて薄くなっていることからも、彼女の腰衣は長い時間を彼女ともに生きてきたのであろう。そしてその老婆の手や腕や足には小さな幾何学模様の入墨が入っている。

刺突や瘢痕、身体加工は所属する社会の一員であることを証明し、その中での立場を示す。また成人社会への加入のための通過儀礼や呪術的な意味合いに加えて美的、性的な魅力も強く、東南アジア、島嶼アジア、ポリネシア、メラネシアの広い地域で見ることができる。彼女の文身は娘時代に、友達同士でお互いに針で刺し煤を塗り込み色を入れたという。これらの入墨は「私たちは結婚する準備ができました」という適齢期を迎えた娘たちの男たちへの合図で、入墨のない女は結婚の資格がないとされた。入墨には苦痛と試練がともなう。耐えて完成させることは新しい自分に生まれ変わることで、結婚とはそういう覚悟を必要とすることなのかもしれない。通い慣れ、見慣れたベジカマの女性の入墨の話を聞くのは初めてだった。入墨を入れているのは70歳80歳を越える女性たちで、インドネシア独立後、教会の活動も手伝い1950年前後にはこの習慣も失われてしまったのだろう。文様・文身の「文」は人が胸に入墨を持つ形から生まれたと漢字学者 白川静は説いている。布の文様と皮膚の文身には親密な関係があることは察しがつく。布を上手織ることは結婚の大切な条件で、入墨はその証しでもある。西ティモールの中でも、ベジカマ周辺のテトゥン族の女性のみにこのような入墨の習慣が見られる。

足の刺青写真を撮らせてもらっていると、周りの人たちが履いているサンダルの右と左が違うと笑い、そのことが可笑しくて彼女も一緒にコロコロと笑い出す。さぞかし器量好しの織り上手な娘であったであろう。両腕には、銀の蛇が巻きついている。



8月7日 大江戸骨董市出店します

7月18日(月)、ティモールのクパンから船便で送った荷物。27日(火)夕方、わたしが家に入るのと同時に郵便屋さんが運んできてくれた。50日前後かかる予定が、間違って飛行機に搭乗してしまったのだろうか。EMS、DHL並みの速さ。一針一針、祈りを込めた梱包、こんなにご利益があるなんて。それぞれの場所で荷物を運んでくださったすべての方に感謝いたします。

8月7日大江戸骨董市出店いたします。陽射しと暑さの厳しいころ、帽子とタオルとお水を忘れずにお出かけ下さい。

帰国

布は一緒に飛行機で、木の物は一足先に郵送。明日帰国。一足先に送った荷物はいつ届くか。無事の到着を祈り、心を込めて縫い合わせ梱包いたしました。

ティモール ベル ラマケネン

東ティモールとの国境の町、アッタンブアから約2時間半。途中から舗装の切れた山道を行くとラマケネン富士とも呼べそうな稜線の美しい山が正面に現れる。その左手には目指す茅葺屋根の伝統家屋が何軒か見えてきた。

この茅葺屋根の下には、乳と繋がった一本の線で刻まれた幾何学模様の扉や壁パネルが息づいている。祖先との約束事として。

ベル ベジカマの粋な男



ベジカマ村に入り布を探す。凸凹道の道沿いに数件並ぶ小さな店の一角で、檳榔樹や飴や味の素を売っていた男性がわたしを呼び止める。「布があります」。薄暗い家の奧から鮮やかな2枚の布が持ち出された。男性用腰布のオレンジの布には、縫取織の技法でベジカマ独特の四角形の幾何学模様が織り込まれている。もう一枚の同じ男性用腰布の赤い布には、ミシン刺繍で花や鳥が描かれていた。慣習として織物は女性の仕事なのだが、この織物は自分で織り、ミシン刺繍したと言う。着用写真をお願いすると快く応じてくれた。誰が織ったのか真偽のほどは分からないが、纏う姿はとてもよく似合っている。「お祭りの時にこうして巻くんだよ」。

どうやら初めから見せて、写真を撮ってもらいたかったよう。次に来るときにプリントしてお持ちいたします。

パサール ハリルリ (ハリルリ市)

西ティモールの各地では、日曜日以外の毎日どこかで定期市が開かれている。インドネシア西ティモールの東、東ティモールと国境を接するベル県のハリルリでは毎週木曜日に市が立つ。市の日に周辺の村の家々を訪ねてもほとんど留守のことが多い。一週間に一度、必要な物を買い揃えたり、売りに行ったりする。日除けもなく、地面にビニールシートを敷いて野菜などを売っているのはいわゆるティモール人で、大きな幌付きトラックにサンダルや鍋釜、食品や洗剤などを積み込み、ビニールテントを張って商売するのはスラゥエシ マッカーサルのブギス族。海洋民族でもあるブギス族は交易に長け、西ティモールのほとんどの定期市や市場での工業製品の物販を独占していると言っても過言ではない。



ティモールの町にあるしっかりした構えの店は全て中国人で、ティモールのどこにでもあるパダン料理の店はもちろん全てスマトラ人。そしてパダン食堂以外の小さな食堂はジャワ人が多い。ティモール人は何をしているの?ティモールを旅していても、村に入らなければティモール人暮らしはわからない。彼らは畑を耕し、家畜を育て、そして織物をする。

ファト アトニ村



西ティモール アマヌバンにファト アトニという村がある。ティモール語でファトは石、アトニは人またはティモール人で、さながら人の石の村、ティモール人の石の村となる。この村の名前は古くから村人の信仰対象とされてきた上半身の形をした自然の石を由来とし、石は山の中に祀られ必要に応じて祈りが捧げられていた。

話しによると事は今から15年前に起こった。お金に困った4人の男たちが、古い祖先の石ならば高く売れると、山にから盗み出しクパンの街に運んで行った。そして石を盗んだ男たちはその後すぐに死んでしまったと。



この布はファト アトニ 村の腰衣の模様部分。ドレスを着た女性やヤモリの姿があり、なぜかその上げた両手は赤い。横には肢体をゆったり伸ばしたワニが描かれ、尻尾には赤い鳥が止まる。ワニは祖先と考えられ、ヒトはワニの子孫。ワニとヒトの模様には必ず鳥、ヤモリと他の生き物も配置しなくてはならない。そうでなければワニはお腹が空いてヒトを食べてしまうからと。それが村で私の聴いた話。

石の行方はどうなったのか、肝心なことを聞き忘れた。