TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

髪を結う櫛 西ティモール

西ティモール アマヌバンの山村に髪を結う年老いた男たちがいる。彼らはアトニ人の身体的特徴の一つである縮れた髪を頭上でまとめ、布を巻いて櫛を挿している。この髪型はティモールに伝わる古い原始宗教「ハライカ」をいまも信仰していることを表し、すでに小さな村にも教会が建てられ、プロテスタントに改宗している村人からは少々恐れられている。なぜなら彼らは呪術が使えると思われているからだ。原始宗教に基づく髪に関する儀礼のひとつに幼児の断髪式がある。魂の安定しないうちは髪から魔物が入り込むと信じられている。村の労力になる年齢になると、女の子であればひとりで織りができるようになる10歳前後から髪を伸ばしはじめ、女としてその後は2度と髪を切ることはない。また男たちも同じように髪を伸ばし、結婚すると既婚者の証明として髪を結う。

神話や民話でも、妖怪や幽霊はボサボサの長い髪で出現する。髪は自分の体の一部でありながら制御不可能で意識して整えなくては好き勝手に伸びてゆく。人としての自制が機能しているかどうか、原始宗教「ハライカ」においての髪の扱いは人間として生きている証拠だとも言えよう。

西ティモールでは様々な形状の櫛がある。東ティモールの国境付近に住むテトゥン人の櫛は、長い歯がまっすぐに伸びる平たい掌のような縦長の竪櫛で、上部に文様が刻まれている。またアマヌバン、アマナトゥンの山間部に暮らすアトニ人は水牛の角の曲線を上手く利用して歯を削りだし、角先端の空洞ではない部分を面とした美しい形は素材の角の特徴をよく引き出している。竪櫛の他に横櫛もありアトニ人のダワン語ではそれぞれ呼び分けられている。



日本の櫛の歴史は縄文時代に始まり、古墳時代までは男女ともに竪櫛を挿していたようだ。奈良以降には大陸から横櫛が伝わり、その影響で横櫛が主流になっていった。ティモールの竪櫛と横櫛の違いにも外来の影響があるかも知れない。

わたしの長い髪も、ティモールの竪櫛でいつも頭の後ろでまとめている。この大切な櫛を実は1度ティモールで失くしたことがある。山からの帰り道で気づいた時には髪は解けていた。ものをなくすのはとても悲しい。使い慣れた櫛はくるくると丸めて挿すだけで簡単に髪を納めてくれた。

「古事記」の中に、黄泉の国から逃げ出すイザナギが、自身の髪に挿した櫛を抜いて投げることでイザナミの追ってから逃げ延びるくだりがある。わたしの失くした櫛も背後から忍び寄る何かの危険を防いでくれたのかもしれない。櫛のお陰で無事帰路に付けたのだと。持ち物や身に付けたものが守ってくれている感覚は旅をしているとよく感じる。



髪に力が宿るように、その髪を納める櫛にも神秘の力は宿る。







ベル 西ティモールのワニ模様

ティモールの人々はすでにカソリック、プロテスタントに改宗はしているが、彼らの伝統的な原始宗教においてワニは「天の神」「水の神 」として畏れ崇められてきた。公国制であったインドネシ独立前のオランダ植民地時代には貴族階級の禁制文様とされ、庶民の使用は禁じられていた。ワニが神であることを考えればそれは当然のこと、布の文様はその文様の力を纏うことになるのだから。

原住民であるティモール人は神であるワニを食料としないが、海に近いベジカマでは毎年洪水で家が浸水し、山間部のラマケネンでは強風で再三家が崩壊され、それは誰かが隠れてこっそりワニを殺して食べているから、と人々は噂する。

写真の布は西ティモール ベルの女性用腰衣の裾部分で、丹念に茜の染料で染められた手紡ぎ木綿の糸、布の表情が美しい。そしてその茜の地織りに縫取織で描かれた文様の色彩・形・構成の完成度の高さ、線で描かれた大ワニの中に小ワ二、その上にはまるで体操服姿でアクロバットでもするかのように人が立っている。周辺には幾何学模様や爬虫類がその場を賑わす。これぞティモール。



「織と纏 、そして生活」 創芸工房 

2016・10月8日(土)~10月16日(日)

10:30AM ~6:30PM 〈会期中無休〉

最終日 5:00PM



ティモール島を中心に東南アジアの布に触れ・・・。民族特有の技法で織られた東南アジアの魅力的な織物が並びます。

また「お話し会」ではティモール島アトニの腰機で織る縫取織や経紋織、ベトナム カトゥの身体機で織るビーズ織の映像を交えながら、織ること纏うこと、そして暮らしについてお話しいたします。

■お話し会  「布が教えてくれたコト」

・10月9日(日)14:00~15:00 〈入場無料〉

・ティモール テキスタイル  岡崎真奈美

・在廊日 10月8日(土)9日(日)



ひとり民族ヌノ 〜布う〜 終了いたしました。

〝ひとり民族ヌノ"無事終了いたしました。ありがとうございます。

今回のご案内に布うさんが書いてくれた文章に「布旅の途中で送られてきたメールには、腰にサックと布を巻き、レンズの向こうの岡崎さんに微笑みかけるティモール島の夫婦の写真がありました。」とあります。遅ればせながら、これがその写真です。ティモール ラマケネン地方 ディルン村。地面すれすれまでに下がる茅葺屋根の外から声を掛けると中から返事があります。腰を屈めて茅葺を潜ると階段のついた高床住居の上にこの家の主が立って迎えてくれました。二人の唇も歯も檳榔樹の実を嗜好している証しとして赤く染まっています。招き入れられるままに階段を上がり、持参した檳榔樹を贈ると赤い口元に笑みがこぼれます。まずは訪問の習わしに従い檳榔樹を分け合い一緒に味わいます。この挨拶で彼らの文化、そして心の扉が開かれるのです。

西ティモール ラマケネン地方

ティモール テキスタイル サイトのトップページ写真を変更。この写真は9月8日から始まる大磯〝布う”さんでの「ひとり民族ヌノ」展のご案内にもあり、この夏、現地ティモールから送った画像の一枚。

写真のドゥア ラト村はティモール島のほぼ中央、インドネシアのベル県から東ティモールに突き出した山岳地帯にあるラマケネンの村の一つで、小高い岩山の上に建てられたこの伝統家屋のある風景は遠くからでも強い印象を受ける。

ラマケネン王国のブナック人は6つの氏族に分かれ、これらの氏族は別々に大陸から出発し途中の島々を渡り、14世紀ころにティモールに到着した人々と考えられている。

ブナック人のこの地面まで伸びた高い茅葺屋根は祖先の乗ってきた船をひっくり返した形と言われ、人が屈んで入れる程度に小さく刈り込んだ茅葺を潜るとその内部は木造の高床式住居になっている。

茅葺の内部に入って驚くのは、幅45㎝前後、高さ160前後の壁板一枚一枚に彫られた文様で、乳房は豊穣、迷路は永遠を意味し、線は交わることも途切れることも許されず一本に繋がっていなくてはならないと教えられる。迷路の線をもし間違った時には祖先へのお詫びの生贄を捧げ、確かな線の道を示してくれるように祈り終えてから再び仕事が進められる。そしてこの彫刻は特定の氏族の仕事とされている。

家に入る許可を得ると、高床の階段を上るときには踏み外したり落ちたりしないように、家の中で躓いたり転んだりしないように、そして物を置き忘れないようにと注意された。。それらのことは〝家を熱くする”と言われ、踏み外したりすると聖水を撒いて〝家を冷やす゛必要があると。またこの家の手前に写る岩山には男しか登るれず、もし女が、特に結婚前の娘が登ると子供を産めなくなると信じられている。岩山の頂上には大木が枝を広げ、この樹を植えて村が始まったという。目を凝らして探ると顔のある石像が立っているのが見える。祖先とそして自然とともに暮らす村の生活には、まだまだ様々な禁忌がある。