神話や民話でも、妖怪や幽霊はボサボサの長い髪で出現する。髪は自分の体の一部でありながら制御不可能で意識して整えなくては好き勝手に伸びてゆく。人としての自制が機能しているかどうか、原始宗教「ハライカ」においての髪の扱いは人間として生きている証拠だとも言えよう。
西ティモールでは様々な形状の櫛がある。東ティモールの国境付近に住むテトゥン人の櫛は、長い歯がまっすぐに伸びる平たい掌のような縦長の竪櫛で、上部に文様が刻まれている。またアマヌバン、アマナトゥンの山間部に暮らすアトニ人は水牛の角の曲線を上手く利用して歯を削りだし、角先端の空洞ではない部分を面とした美しい形は素材の角の特徴をよく引き出している。竪櫛の他に横櫛もありアトニ人のダワン語ではそれぞれ呼び分けられている。
日本の櫛の歴史は縄文時代に始まり、古墳時代までは男女ともに竪櫛を挿していたようだ。奈良以降には大陸から横櫛が伝わり、その影響で横櫛が主流になっていった。ティモールの竪櫛と横櫛の違いにも外来の影響があるかも知れない。
わたしの長い髪も、ティモールの竪櫛でいつも頭の後ろでまとめている。この大切な櫛を実は1度ティモールで失くしたことがある。山からの帰り道で気づいた時には髪は解けていた。ものをなくすのはとても悲しい。使い慣れた櫛はくるくると丸めて挿すだけで簡単に髪を納めてくれた。
「古事記」の中に、黄泉の国から逃げ出すイザナギが、自身の髪に挿した櫛を抜いて投げることでイザナミの追ってから逃げ延びるくだりがある。わたしの失くした櫛も背後から忍び寄る何かの危険を防いでくれたのかもしれない。櫛のお陰で無事帰路に付けたのだと。持ち物や身に付けたものが守ってくれている感覚は旅をしているとよく感じる。
髪に力が宿るように、その髪を納める櫛にも神秘の力は宿る。
