TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

絣、あるいはイカット、あるいはフゥトス

絣と呼ばれる染織技術は、織機にかける前の糸に模様を結び染めることで、その結んだ部分が染まらずに白く跡として残り模様になる。

たて糸もよこ糸も結んで模様を出すのはたてよこ絣といわれ、この技法は世界でも日本、インドネシア、インドの3か国でしか行われていない。

そしてたて糸のみを結ぶのはたて絣、よこ糸のみならばよこ絣となる。

絣の技法は英語ではイカットと呼ばれるが、これはマレー語の結ぶ、括るを意味する言葉から作られた染織用語で、西洋社会に絣を意味する特別な言葉がなかったことが察せられる。



ティモールでは絣をフゥトスと呼ぶ。民族固有の名称で呼び親しまれていことは、絣が彼らの伝統染織布であるとの証で、モノやコトは名前をつけてもらって始めて人と暮らしを共にする。

ティモールのフゥトスはたて絣で、絣を結ぶための枠にクルクルとたて糸を張り糸のキャンパスを作り、そこに染めたい模様を結んでいく。

張り詰められた真っ白な糸には下絵はなく、参考のデザインが手元にあるわけでもない。

模様は真ん中からでも端からでも好きな位置から結び始める。結び手のからだには何種類かの模様が染みていて手は頭と関係なく動いているよう。

今では絣の結ぶ糸にピンクやブルーのナイロンテープが使用されているが、少し前までは乾燥させた椰子の葉を細く割いた繊維が使われていた。乾燥した椰子の繊維を結び易くするために、結ぶ直前に唇にあてスッと引いて湿らす仕草には色気が漂い、また白い木綿糸に生成りの椰子の繊維が結ばれていく工程は、手の仕事は人のからだ、仕草が直接モノに働きかけ生まれ、指先から気持ちまでがスッと一緒にモノに入り込むことだろう。

以前ママベンデリナの模様を結ぶ仕事を静かに見ていたとき、老いて視力の弱った彼女は白いたて糸に生成りの椰子の繊維では見づらいからと括りの糸を藍で染めていた。白いたて糸に藍の繊維で結ばれていく模様はその段階ですでに"美"が完成を心待ちに見守っているように感じられた。

「木綿を紡ぐことよりも、機織りよりも、絣の模様を結ぶことが一番難しい」と女たちは口を揃える。藍一色で染めるなら模様を一回結べば白と藍になる。そこに赤色を入れるなら染めたい場所の結びを開いて、藍に染めたとろをもう一度結んで色が入らないようにして赤色の染料に浸す。結び目が甘いと染料が入り込み、模様はさっさと逃げて行ってしまう。

"結び"の行為は文字の役目や数を記録したりもする。また"結ぶ"という言葉自体にもさまざまな意味が入り込む。結びを学んだ人類は紐を石に結び道具を見つけ、紐は結ばれ編まれ、織物へと進んでいく。

結んで開いて結んで開いて、結んで開いたところが模様になる・・・。結ばれるのはどうやら模様だけではないようだ。結び目に籠めるのは彼女の思い、そして民族の記憶。それらを未来へ繋げるための再生の儀式を繰り返しているのかも。

布を織る道具 腰機

トウモロコシの収穫を終えて、5月から11月の乾季には西ティモールのあちこちの村々で織りをする女性の姿が見られる。12月から4月までの雨季が畑仕事の季節なら乾季は織物の季節、乾いた大地の上、平石を積んだ円形の藁葺屋根の下、思い思いの場所に茣蓙を敷いて仕事をしている。
織物はたての糸とよこの糸の交差で組織される。西ティモールでこのために使われている織りの道具“腰機”は張ったたて糸の一方を織手の腰で引っ張り、もう一方を地面に打った杭や家の柱に固定する。その織機は見た目にもいたって単純で何本かの太さの違う木がたて糸のなかに組み込まれている。体に一番近い所にはたて糸を腰で保持するための手元棒、次に輪状綜絖の棒、そして開口を保持する中筒棒にたて糸を整える綾棒、最後に柱にたて糸を保持する先端棒、そのほかにはよこ糸を巻いた棒とよこ糸を打ち込む刀杼だけ。
たて糸の一方は腰で支えるので織手自身も織機の一部となる。彼女たちがたて糸を支えるための腰帯を背中ら外せば、張力を失ったたて糸はふらふらと心細げに、そのたて糸としての役割を手放さなくてはならない。先端棒にクルクルとほかの中筒棒や綾棒と一緒に巻かれれば収納場所も取らず、どこにでも簡単に持ち運べる。
ティモールの織物は女性の家の仕事して母から娘へと継承されてきた。少女たちは母親の織りをするそばで遊びながら、また小さな兄弟の世話をしながら織りの技術を習得していく。母親は織りの仕事をしながらでも子供たちに何かあれば途中でもすぐに手を止めることができ、また織りの道具には子供たちにとって危険なものはない。
ティモールを歩き始めたころ、バナナのように曲がった布やヘビのようにクネクネと歪んだ布に時々出会いとても奇妙に感じていた。布とはまっすぐなものと思っていたので。
腰機は固定した杭や柱と織手の腰に回した腰帯でたて糸を張り、織手の体の動きでたて糸を張ったり緩めたりして糸の張力を調整しながらよこ糸を入れて打っていく。ティモールの腰機にはたて糸の歪みを避けるための仕掛けもなく、織手のからだの癖や力ぐあい、その日の体調や気分、織り上げられるまでに掛かる長い時間がすべて糸に伝わる。曲がっている布をどう思っているのかと尋ねても、どうしてそんなことを気にかけるのかと驚かれる。確かに壁に掛けるためではなくからだに纏う布なのだから、少々歪んでいるほうが巻き易いのかもしれない。それでもやっぱり上手い女性の織った布に歪みはない。
織りをする女性のそばに座り込んでその仕事を眺める。体を前傾させ、膝を曲げて、たて糸の張りを緩め綜絖を引き上げ刀杼を入れ、今度は体を立てて膝を伸ばし、たて糸をピーンと張って糸を打つ。またたて糸を緩めるための態勢になり今度はよこ糸を入れ刀杼を入れて態勢を戻して糸を打つ。体全身で行われる一連の動作の繰り返しが機になり織りになる。ドンドンドン、糸を打つ音は村に響きわたる。道具が奏でる音は心地よい。女性たちは悠々と織りをする。