久しぶりお会いし、お話し下さる岩立さんの言葉がいきなり胸に刺さる。この一言がなかったらフルカリの煌びやかな色や個性的な模様の面白さに夢中になり、その仕事を可能にした布地のことを考えるまでには行きつかなかっただろう。
近くによって布を見るようにすすめられ目を凝らすと、それは手紡ぎ木綿糸の厚手の手織り布で現地では〝カッダー″と呼ばれると教えて下さった。
手紡ぎ木綿糸のホコホコした糸感は、手織り機で織られてぽったりとした布感に仕上がり、そこに赤・黄の艶やかな真綿糸を持ちい、バンジャーラの女性たちの感性で刺繍されてはじめて〝フルカリ〝となる。
木綿の栽培と糸を紡ぐまでは女性たちが自分で行い、カッダーが織れるだけの糸ができると村お抱えの織り職人に依頼すると話して下さる。自分で育て紡いだ糸がどんな織物になって上がってくるのか、そのあいだ女たちはドキドキしながら楽しみに待っていたのだろう。
織物は糸が整ってはじめて織ることができ、刺繡は布があってはじめて刺すことができる。もう一つ遡ると、糸は素材になる材料があってはじめて糸になる。糸から一枚の布になり、布に刺繡が施され、刺繡された布を衣装に縫製するとなれば、それに至るまでの細かな作業を含めた夥しい種類の工程と技術と能力を必要とし、またそこには民族思想に個人の思いもたっぷりしみ込んでいることも忘れてはならない。残る布、残される布は、人間がそれを作るためにかけた時間と思いに比例するのかもしれない。

このところ、中国から持ち帰ったまま手付かずになっていたミャオ族の衣装の手入れをしていた。ホツレていたりほどけていたり、擦れていたり破れていたり、そんな部分を少しづつ糸と針で修理してゆく。実際に布に針を当てると織目の緻密さ、打込みの強さを改めて感じる。細い針先がすんなりとは布の中を潜ってはくれない。
衣装の襟や袖に縫い付けられている精妙な刺繍も、同じように目の詰んだ硬い布に刺されている。ほどけた裾をまつるだけでも一苦労なのに、このカチッとした布に刺繍するには優れた技量と強い精神を必要とし、またこの布だからこんな繊細な刺繍が可能なのかも、精確に交わる織目が刺繍の糸目の案内役となっている。
ミャオ族の布からフルカリは生まれず、フルカリを生んだカッダーからは、ミャオ族の刺繍は生まれなかっただろう。
煌めく刺繍布 フルカリ 岩立フォークテキスタイルミュージアム
3月18日(土)まで 開館日 木・金・土 10:00~17:00
2月26日(日) NHK Eテレ『日曜美術館』アートシーンで放映
朝 9:00〜(アートシーンは9:45〜) 再放送は夜8:00(アートシーンは8:45〜)