今年はじめての大江戸骨董市です。
気が付けばもう4月、毎年桜のころは熱帯列島に渡っているので、
久しぶりの桜に日本人の遺伝子が騒ぎたて、近所の大横川沿いに咲く桜道への散歩の回数が増えます。
今回の”大江戸一坪劇場”出し物は「棒っきれ、板っきれ、布っきれ」です。
道具としては役目を終えた壁・櫂・車・鋤・布の端っこを並べてお待ちしています。
どうぞお出かけください。4月の第一日曜日、大江戸でお会いできると嬉しいです。お天気になりますように。
布につながるすべての感覚をひろげて
今年はじめての大江戸骨董市です。
気が付けばもう4月、毎年桜のころは熱帯列島に渡っているので、
久しぶりの桜に日本人の遺伝子が騒ぎたて、近所の大横川沿いに咲く桜道への散歩の回数が増えます。
今回の”大江戸一坪劇場”出し物は「棒っきれ、板っきれ、布っきれ」です。
道具としては役目を終えた壁・櫂・車・鋤・布の端っこを並べてお待ちしています。
どうぞお出かけください。4月の第一日曜日、大江戸でお会いできると嬉しいです。お天気になりますように。
母子花との10日間、幸せに終わりました。晴れの日も風の日も雨の日も、瞳をキラキラサさせて来て下さった皆様に熱くお礼申し上げます。
今回のタイトルになっている、母と子と花の漢字の組み合わせは、その言葉の意味が分からなくても、穏やかで優しい思いが伝わってきます。
また「母子花」は中国語では「ムヅホァ」と読み、耳に聴こえてくる音は、字と同じように柔らかく心地良い響きです。
母子花は実際、織物や刺繍のための見本布で、苗族の言葉では模様見本としての意味以上の含みはありません。
ある日、この布のことをしつこく尋ね回る私に、苗族の物知りお婆さんは「母子花」と紙に書いてくれました。そして「ムヅホァ」と呼ぶのだと教えてくれたのです。この言葉を知ったとき、道具としては見本布ですが、その内面にある文化的本質にやっと辿り着いた気がしました。この見本は個人の物ではなく、母から子へと伝えられる苗族の文化的遺伝子布なのです。「母子花」はそのことを表現するのに優れた美しい言葉と感じました。
苗族は高度な民族染織繡文化の継承で知られています。子供のころから織物や刺繍を習熟している女性たちは、何も見なくても刺繍や織物の模様を手や体が覚えていると思い込んでいました。母子花の存在は、想像する以上に複雑な模様を彼女たちは織り込み、驚くほどの多種多様な刺繡模様とその組み合わせがあることを明らかにしてくれます。また布の糸目を掬って刺せるだけの繊細な刺繡を得意とするからこそ、織物の組織図を刺繍で刺すことが可能なのです。
母子花はあくまでも模様のメモやスケッチで、それ自体とても私的で他人に見せることのない、表には出てきてはいけないものです。衣装やおぶい布は喜んで見せてくれますが、母子花のことを知らずに尋ねなければ、決して進んでは見せてはくれないでしょう。母子花を知ってから、今でも刺繍や織物をする女性たちに会うたびに、自身の母子花を見せてくれるようにお願いします。部屋の奥から大切に持ち出された母子花は、彼女の体の一部、人生の一部として彼女の手の中にあります。冗談半分で「売りますか?」と尋ねると、「いやっ」と真剣な断りの言葉と一緒に「これは娘に残さなければなりません。母子花がないと模様が解らなくなってしまいます」。この素晴らしい贈り物が、あと少しもしないうちに必要のないものになってしまい、模様を記憶にとどめている人もいなくなってしまうかもしれません。本当は母の手から子の手へと贈られる母子花が一枚一枚とわたしの手に集まってくることの意味を考えずにはいられません。
10日間、皆様との静かで深い語らいは、何十冊もの本を読破したような思考に満たされました。幾何の白い壁に並べてご覧いただいた文化的遺伝子布”母子花(ムヅホァ)”の探求ははじまったばかりです。苗族の母も喜んでくれると信じています。この先も布の道をトコトコ歩いて行きます。母子花の小さな展示会を共有し、素晴らしい会にしてくれた皆様、本当にありがとうございます。