TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

Web Exhibition のお知らせ

どんなに考えて見ても、
いまのわたしに出来ることは限られています。

これはインドネシア、スラウェシ島トラジャ人の古い外壁彫刻です。
150種類以上の文様があるといわれ、文字を持たないトラジャ人にとってのこの文様は、祖先との祈りの交信を意味します。
のみで彫られた力強い線は、迷いのない信仰と、進むべき道への誓いのようでもあります。
いつかまとめて展示会ができればと、少しずつ集めて手元に残してきました。

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いま始めなくてはならないことの第一歩として、この外壁彫刻のWeb Exhibition をいたします。
たった5枚の小さな展示会ですが”スラ“の魅力を感じでいただけると嬉しいです。
(Web Exhibitionなのでたった5枚でもできるのですね)

しばらくほったらかしていた、古いスタイルのままのHPに手を入れました。
画像では分かりにくく、またもし気に入っていただけたものがあっても、
ポチッとするカッコイイシステムはありません。
ご面倒ですが、メールで連絡をいただくことになります。
もしご興味がありましたら、このブログのリンク 
www.nunona.comから覗いてみてください。
お問い合わせは→timortext@gmail.com にお願いします。

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バヌア スラ(バヌアは家・スラは彫刻)と呼ばれる、トラジャ人貴族階層の家




60㎝のなか

毎日家で何をして遊んでいるかというと、いろいろあるのですが、布と物を60㎝のなかに置いて、あっちこっち動かす遊びはかなりお気に入りです。ものの位置と隣り合うものとの関係で印象がくるくる変わり、配置に正解はあるのかないのか?これが一番落ち着くと思ったのに、お茶を飲んでしばらく眺めていると、あれれっと疑問が湧いて、また動かしたくなります。ぼんやりした頭も活性化され、木綿、木、金属、パンダナスの葉と素材も色々で、触れる感触や重さも、何かしらの体の刺激になっていると思います。

いつもは展示会で布や物をご紹介しています。展示会が嬉しいのは、一点一点集めた特徴のあるユニークなものを配置して、大きな一つのまとまった空間を作りだすことができるからです。

でもいまのコロナ禍では、この60㎝の布の上で遊べることが何よりも幸せです。
どうして60㎝かというと、ほぼ座布団一枚分の大きさで正座したり胡坐で座った時のサイズ、
こちらも60㎝、あちらも60㎝で向かい合い、座ったままであちこちものを簡単に動かせます。
遊びにはやっぱりルールがあったほうがおもしろいのです。一人で遊ぶにしても。

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これは昨日の青い布の60㎝メンバ―です。スラウェシの壁面パネル、カリマンタンの櫛、スマトラのパンダナスの編みと布、ティモールの木彫にミャオ族の刺繍です。

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こちらは今日の白い布の60㎝メンバーで、トン族太陽刺繍とミャオ族の紐、ティモールからはスクワット中の木彫と人型スプーンに煤けた籠、そしてスラウェシのぐるぐるサンゴリです。

どちらも下に敷いた布が、引き立て役になっていますね。
今度は一緒にこの60㎝で遊べると嬉しいです。
そうすると60㎝の正方形が3つになります。

大事に集めたものと、大切な人の力を借りて、ちっちゃくちっちゃくできることをコツコツと慎重に、コロナ時代の最初の一歩を、踏み出せたらと思います。

ハウメニアナの市場

ちょうど陽が昇りはじめたころ、トラックはハウメニアナの市場に無事到着しました。
市場の奥の見晴らしの良い場所には、肩から大きく布を纏った男の人が立っていて、その布は遠くからでも鶏模様がはっきりわかるほど見事な布でした。
ティモールの木綿布は、ひらひら薄く優しく舞い上がるような布ではありません。どちらかというと硬く重々しく地面を這うような布です。
そんな一枚布を紐もなにも使わずに、思いのままに体に纏うのは実は結構難しいことです。体で布を支え、布を気持ちよく体の上で遊ばせなくてはならないのですから。

形になった服を着ることと一枚の布を纏って生活することでは体の使い方や動かし方は違うはずです。そんなことを考えながら私はいま体を鍛えています。といっても筋トレをしているのではありません。ゴソゴソザラついたティモールの布を肩から掛けたり腰に巻いたりして、巻く場所や体と布の隙間や布の重さなどで自分の体にどんなふうに変化が起こるのか、そんな体の感じを見直したいのです。
ものを置き換えれば見た目の感じが変わるように、布の巻き方を変えれば体の感じは変わるはずです。ティモールの一枚布を巻いた人々を見ていると、服を着ている私とは体の動かし方だけではなく、私の知らない体の感覚があると思うのです。

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東ティモールとの国境付近で開かれるハウメニアナの定期市に行きたいのに、その前日に泊まったエバンからは公共バスはないと知らされました。市場で商いをするブギス人に頼み込み、トラックの荷台に積んだ段ボールの間に埋もれ、満天の星空に包まれて進んだ夜の道を思い出しています。


西ティモールのコロナ禍

西ティモールの各地で開かれている定期市もまだ閉じたままのようです。まもなく2か月になります。
ブギス人が大きなトラックで運んでくる砂糖やコーヒーやお菓子の食料品、衣類やサンダル、織物の糸や染料、鉛筆やノートなどが買えなくて困っていると思います。
でもそれ以上に布や野菜や家畜を定期市で売ることができなくて現金収入が止まってしまい、みんな頭を抱えているはずです。携帯電話の料金とバイクのガソリン代は、お金での支払いしかできないのです。

ティモールに電話すると、布を持って村人が私を探していると。もし私がいても必ず買うとは限らないのですが、勝手にやってきて帰りのバス代がないとお金をせがまれると電話の向こうで笑っていました。これは町でも村でも市でも、どこで出会っても使う手口です。
お金は渡しているようで、すべてわたしのつけになっています。
バスは走っているようですが、バトゥプティでお医者様の検査があるといっていました。

私も同じように頭を抱えています。
こんな時は原点に戻るものひとつの方法かもしれません。布を背負って歩いた、仕事を始めたころのように。でもどうぞご安心ください。帰りの電車賃がないといってせがんだりはしませんから。

ティモールのみんなはきっと逞しく乗り越えるでしょう。
そして彼らのお陰で私も随分と、
太々しくなりました。

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いつだったか村で布を広げていたとき、ママ猫がやってきて布のど真ん中に太々しく座り込みました。ちょうど値段交渉の最中だったので「ほら、ママ猫もそれじゃ駄目だって反対している」
ビンロウを噛んだ真っ赤な口には、勝ち誇った笑みを浮かべていました。
そんな日をひたすら恋しく待ち望むのです。


21年前の自分

たまりに溜まった写真の整理をはじめました。
一人で布を探して歩いているので、自分の写った写真はほとんどないのですが、フィルム写真で撮られたらしき1995年5月1日の自分に出会いました。
村のお祭りに参加した時と記憶しています。踊りのために伝統衣装を身に纏った女性たちとTシャツにズボンの子供たちに囲まれて、嬉しそうに立っています。
首から提げたカメラはニコンの35mmからデジタルに変わりましたが、帽子に三つ編み、長そで長ズボンはいまでも同じです。もちろん21年分の歳はたっぷりとりました。

わたしの仕事は布を買って売る、布を売って現地に行く、その繰り返しでここまで生きてこられたことを当たり前とは思っていません。展示会を開催してくださるギャラリー、そして展示会に来てくださる皆さんの布への興味と応援の気持ちに支えられてこうして続けてこれたのです。写真を整理しながら振り返ると感謝の気持ちで胸がいっぱいになります。

コロナ禍で現地にも行けず、展示会も出来ず、すでに50日近い時間が経ちました。21年前と変わらないこと、変わったこと、そしてこれから変わらなくてはならないことを毎日繰り返し考えています。
何もなかったことには出来ないのです。この不安で不自由な時間が契機になって、いままでよりも少しでも良い世界に変わることを願って止まないのです。そのためにはまず自分が変わらなくてはなりません。それが一番難しい問題なのです。

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牡馬と男の扉と布

 驚くような彫刻の入った扉や梁をティモールの村で見つければ、後先のことなど考えずに欲望の制御は一気に外れます。布のようにはひょいと担いで帰れないから、いつ誰にどうやって運んでもらうのかを考えなくてはならないのに。帰国までの時間があるときならば色々段取りも整うのだけど、山から下りて、すぐに島を出なくてはならない場合には、お金だけ払って預かってもらうことになります。「次に来た時に運んでね」。どちらにしても急いで日本に持って帰って、すぐ展示会でご紹介できるものでもなく、しばらくはたっぷり眺めていたいもの。また村に自分の扉を預けておくことは、必ずここに戻ってくるといティモールとわたしの約束のようなものなのです。

この馬に人が跨った彫刻を見た瞬間、これは絶対私が持っていなくてはと思いました。なぜかというと、同じよに馬に人が跨った経絣模様の布を持っていたからです。

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それがこの布です。品番を見るとNo.962 、いまから16年前の2005年1月にティモールへ行ったときに出合った布です。両手を挙げて馬に跨り、跨った脚は馬の腹から突き出ているように表現されています。周辺には鳥や星や幾何学模様が配置され、上下の段には手足の長いワニが横たわっています。
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扉の模様は一つ一つを直に木に彫っていきます。これは男の仕事です。
布の模様を見ると左右の模様が鏡面反転になっています。これはこの模様が経絣の技法で織られているためで、反転した二つの模様は経糸に同時に括られ、整経する際に模様を開いて整え、腰機に掛け、緯糸を入れて織りあげます。そして織物はすべて女性の仕事です。
独特な模様ですが構成はパターンによるもので、一緒に括っているはずの模様の形が微妙に違うのも魅力です。腰機での経糸の張り加減や、緯糸の打ち込み具合によって変わってしまったのでしょう。
 
ここで問題は、この馬に人が跨った模様は扉と布のどちらがはじまりだったかです。
バス、トラック、バイクが主要な交通機関になってしまったいまでは、馬を見かけることはなくなりました。それ以前は馬は貴重な乗物で、ものを運ぶための大切な手段もありました。
その馬を男が最初に彫ったのか?それとも女が布に括ったのか?この扉に出合わなければこんな問題を抱えることにはなかったのですが。

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経紋織のワニ

西ティモール、アマナトゥンの経紋織で布幅いっぱいに織られたワニの模様。原始機に綾竹を組み、経糸の白黒を交互に浮沈させて模様を織るので両面の色は反転する。片側が白いワニならば反対側は黒いワニ。どっちが表でどっちが裏?どちらも表でどちらも裏だけど、たぶん織手は黒いワニを見ながら織っと思われる。綾竹を使った経紋織には幾何学模様のような繰り返しの柄が多く、足を広げて尻尾を巻いてドーンと横たわる大胆で独創的な平地浮文組織でのワニ模様は模様蒐集家にはたまらなく、絶滅危惧種に近いほど西ティモールでも織れる人はほとんどいない。腕のいい婆ちゃまが山の中でかろうじて織物をしている。紙に絵は描けないのに、布にはこんな模様が描ける婆ちゃまに会いに行かなくちゃ。


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