TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

“乾いた土地”

西ティモールのアトニ人の“乾いた言葉”で“乾いた土地”と呼ばれるティモール。半年間の雨季が終わり5月から10月は乾季に入ります。距離がインドネシアのジャワやバリよりもオーストラリアに近いだけではなく、地質、気候、動植物も1350キロ南下したダーウィンに類似しています。これからの季節は風の方向は南からに変わり、冬のオーストリアから流れ込む冷たい空気で日没後の気温は急激に下がります。
ティモールの町は平凡で、乾季の山は殺風景で、村には大地と同化した”丸い家“があります。今では織ることが職業になった織手は雨季も乾季も一年を通して布を織りますが、本来は自然界が渇きで生産を停止した季節が、織手の布を生産する季節でした。

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腰舟

赤、青、黒に染め分けられられ、最後まで括られていたところは白い痕跡として経糸に残り模様になります。経糸の一方は柱に固定され、もう一方は織手の腰に掛けた腰帯で経糸のテンションを調整します。緩めたり引っ張ったり、畝る経糸は波のように刀杼は波に向かう櫂のように緯糸を打ち込みます。機と合体した織手の姿は海に浮かぶ小舟さながら糸のなかを織り進んでいきます。
眩むような暑さ、吹き抜ける風、そして椰子の揺れる音のせいもありますが、機の隣ではいつもうとうと、いつのまにか大海原に運ばれます。

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雲のような木綿布

 西ティモールの丸い家“ウメックブブ”の窓のない閉ざされた真っ暗な内部空間は、囲炉裏の煙に燻されて隅々まで艶々と黒光しています。その梁に置かれた椰子籠には収穫した木綿がこんもり入っていて、木綿はこの先に続く糸への工程をのんびりと待っています。晴れた日の雲のように真っ白だった木綿の一部は燻されて雨雲色に。
ティモールでは茶綿を見たことも聞いたこともないのにたまにデタラメな茶の糸の入った縞のグラデーションの粗野な糸味と色味のある美しい布に出会うことがあります。いつも不思議に思っていました。時間と煙の悪戯、そしてそのことに寛容な織手との共同制作。どんな布が織り上がるか想像できますか?雲のような木綿布。

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雲を紡いだ糸

ティモールの神話には、真っ白な雲を紡いだ糸で布を織る女神のお話があります。右手で紡錘“イケ”を回しながら、左手に持った木綿を空中に引き伸ばす女性たちの姿は、地上で紡錘を回して天上の糸をちょっとずつ摘んで糸にする女神の姿と重なります。
糸を紡ぐ女神のお話は地球上のあらゆるところで伝えられています。あのミロのヴィーナスも糸を紡いでいたという説は有力です。糸を紡ぐ切り取られた手の部分と失われた手の部分は、全体への想像力をいっそう煽ります。1998ー1999年
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聖なる柱

西ティモールの乾いた言葉で“ニ レウ”と呼ばれる「聖なる柱」。“ニ”は柱、“レウ”は聖なる、神聖、または薬を意味します。儀式儀礼時に供物を捧げ祖先や自然界とのコンタクトのための場所です。人間に視聴領域があるように、見えているものに限界があると考えるのは無理なことではありません。見えているはずなのに見えていないトホホなこともよくあるのですから。
コンタクト、それは祈りであり、感覚の拡張。そのために彼らが想像した“かたち”です。
1998-1999年
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丸い家

西ティモール山間部の伝統家屋、大地の突起物のような丸い家“ウメックブブ”。アランアランと呼ばれる植物で地面までたっぷりと葺かれた家の中は真っ黒で、中央には囲炉裏、天井一面からは主食のトウモロコシがぶら下がっています。囲炉裏の煙は温もりは、そして煩わしい虫から人と食料を守ってくれますが、肺と目にはかなりの負担です。現在では四角い家も建てられ、生活も調度品も変わってきています。
物事の見え方、捉え方もいつのまにか丸から四角になっているのかも知れません。私の頭が固いのはきっとそのせいです。

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顔 1998-1999

匂いや体温まで感じるられるワンステップの距離に彼らは踏み込ませてくれました。私も臆することなく踏み込みレンズを向けます。標準レンズ5mmの関係。立ち位置は真正面直球、ほかに技はありません。ほぼ四分の1世紀前の行動はこの時にしか出来なかったことです。今この時間にしか出来ないことに向き合います。
西ティモール山間部、パッメト(乾いた土地)でウァブメト(乾いた言葉)を話し暮らすアトニの人々。アトニとは“乾いた言葉”で人、男を意味します。1998-1999年
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標高800メートル

標高800メートルに位置する西ティモールのソエは、1920年にオランダによって拓かれた、これと言って特徴のない町です。
町の住人と周辺の村から来ている村人の服装のコントラストは、町と村の距離だけではなく両者の間にある文明的な時間の隔たりも感じることができます。
どの地域でも沿岸部や平地は大航海時代以前から栄えていましたが、標高500メートルの壁を文明が乗り越えられたのはそれほど過去のことではありません。海と山の移動経験があるならば、険しい山の道はお天気が良くても身体が萎縮します。
布を探して潜る場所は標高500メートル以上、そんなわけで赤道直下の島々に行くときはいつも山装備です。

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白黒写真1998-1999

伝統的な檳榔交換の姿は西ティモールではよく見かける風景です。互いの檳榔樹を分け合い、共に噛むことで親睦を深めます。肩と腰には幾何学模様の見事な布を巻いています。
1998-1999年、彼らと私の間にはまだ布売買のコミニケーションはなく、被写体と撮影者の関係でした。ただ知りたいと、ここが何処で彼らは誰なのか、そしてどうして私はここにいるのか。西ティモールの大地に立っている私は色のある世界を見つめ、色を取り除くことで肉眼では認識できないティモールの何かを抽出したいとシャッターを切り続けた日々。

過去のどの時点を振り返っても、この道以外の選択肢はなかったなぁ〜、というよりも自分の能力は充分理解しているので、何も起こらないように制限をかけてきたふしもある。いつも遠回りばかりだけど、自分の喜びには素直です。
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