TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

食べ物のタブー

インサナのいつもお世話になっているナイコフィ家では、

半年前に結婚した3番目の息子グスティンに女の子が生まれていました。

生後1ヶ月と2週間、布に包れ母親にしっかりと抱かれている赤ちゃんに挨拶しようと顔を覗き込むと、

左頬と額、頭の後ろに大きな腫れ物があり、驚いているわたしに、

「昨日からなの、今は眠っているけど痛みで泣きつづけ夜寝ることもできないのよ」

なにが原因でこんな小さな身体に痛々しい腫れ物ができたのかを聞くと

「知らないで間違った食事をしてしまったの」

一ヶ月ほど前、子供が生まれてから夫婦揃って奥さんの実家で食事をしたときに出された物のなかにその間違った食べ物が入っていたといいます。

食事をした数日後にまず二人の身体に吹き出物が出来それは膨れ上がり、その後赤ちゃんにも同じ症状が出だし、母乳から感染したのだと。

赤ちゃんを抱く彼女の左手と左脹脛にはまだその吹き出物の痕が痛々しく残っていました。



この家の姓はナイコフィ。ナイコフィの姓には代々食べてはいけない食べ物のタブーがありこれを犯すと死にいたることもあると。

このタブーのことは「ポマリ」と呼ばれ、ポマリは結婚して姓が変わった妻にも摘要されるのです。



なにを食べてなにを食べないか?

ヒンドゥー教は牛を聖なるものとして食べることを禁じ、

イスラム教は豚を不浄なものとして食べるのを禁じました。

また宗教が禁じていなくても伝統やその地域の習慣により、例えば馬を食べる人々と食べない人々、犬を食べる人々と食べない人々などのタブーもありますが、

現代の一般的な食のタブーは総じてキリスト教的な西洋の影響を強く受けているように見えます。



危険ないいかたをすると命を維持することだけを考えれば人はなんでも食べてよいはずなのにどうして食のタブーがあるのでしょうか?

なんでも食べれるではなく、なんでも食べないという考え方はどうして生まれたのでしょう?



個人の嗜好ではなく、姓によって食べてはいけない物がポマリとして定められた背景にはなにがあったのでしょう。

この人たちは食べても良いけどこの人たちは食べてはいけないというような、外の圧力による食物配分の働きなのか、

あなたたちは食べるけどわたしたちは食べませんという自主性によるポマリなのか?それともアレルギーなのか?

ティモールのような食べるもの限られた場所における食のポマリは何によって決められたのでしょう。



美味しいものがなんでも食べれるわたしたちの社会において、好き嫌いではなく自分で自分の食にポマリを持ってみるのはどうなのでしょう・・・。





ナイコフィ家の腫れ物騒動の原因はプリヤと呼ばれる野菜でそれはニガウリのことです。

グスティンの妹ラニは「たくさんのポマリがまだまだあって、ティモールで暮らすのは本当に大変よ」