TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

ティモール島の地名には“石”のつく場所や村が多くある。

“石”はインドネシア語では“バトゥ”そしてティモール島の先住民族アトニ人のダワン語では“ファト”と言う。

インドネシアの西ティモール最大の街クパンから東に伸びる幹線道路は東ティモールとの国境の町アッタンブアまで続き、

その途中、クパン県と南・中ティモール県との県境にノエ・ミナと呼ばれる河が流れる。

この河を渡りきった場所は“バトゥ プティ”白い石、ここを右に曲がるとティモールの南海岸へと抜ける。

東ティモール独立前まではここは軍のチェックポイントのひとつで、、

バスに乗り込み乗客と荷物を確認する軍人にパスポートを提示しなければならなかった。

今では軍人もパスポートのチェックもないが、この場所にバスが止まるたびに駆け寄り、

水やピーナッツ・茹卵・バナナチップスなどを抱えて売る、そのほとんどがまだ幼さの残る少年たちの姿は変わらない。



“バトゥ プティ”を通過するたびに、きっとどこかに地名に由来する大きな白い石が存在するのだと信じていたわたしは、

バスに乗り合わせた隣人にいつも同じ質問を繰り返していた。

「白い石はどこにあるのですか?」「ただの地名ですよ」

誰に聞いても返事はあまりにも素気なく「きっとよそ者には知らされない秘密があるのだ」とくねくねと曲がりくねった道を行くバスに揺られ、

外の風景を眺めながら同時に夢想の世界に落ちてゆく。

“バトゥ プティ”白い石はティモール人のダワン語では“ファト ムティ”となり、

そのほかの地名にも、“ファト ムナシ”古い石、“ファト レウ”薬の石、“ファト ウラン”雨の石・・・と美しい名前が点在する。

この非火山の島ティモールは石灰石と砂岩、そして頁岩のような強く変形した堆積岩から出来ていて、

島のところどころには奇妙な形をした巨大な岩山が突出した石ころだらけの島なのである。





ある日の暑い午後、ハネ村の物知りアユップの家でビンロウジュ樹の実を噛みながら家族の人たちと話しをしていたところに、同じ村のユサがやって来た。

ユサは重たそうな、石でも入っているのではないかと思える荷物を大切に抱えて少々興奮していた。

「ものすごいモノを見つけたよ」

アユップもわたしも、そこにいた者全員が何が入っているのかと興味一杯で荷を解くのを待ちかねていた。

ところがユサはもったいぶってなのか、それともみんなの顔を見て気が変わったのかなかなか見せてはくれない。

そしてしまいには「やっぱりダメだよ」と。

ユサより年長のアユップは「せっかくみんなに見せようと思い持って来たのだからどうだい見せてはくれないかい」とユサに語りかける。



ようやく姿を現した石のように重たそうな包みから現われたのはまぎれもない“石”だった。

高さ30cmほどの歪な三角形をした石灰石。

「川で見つけだんだ。ほらここに顔があるでしょう、片足が壊れているから安定が悪いけどこれは古くてすごい石像さ」

どう見てもただの石灰石の塊にしか見えない・・・、そんなわたしたちの反応に失望したユサは、

「やっぱり見せるべきじゃなかったよ。このすごさは目のある人にしか分らないのさ」と石像を丁寧に包み直し来た道を引き返して行った。



それからユサはどうしたかと言うと、バスに乗り石像を大切に膝の上に置き3時間以上の道のりをクパンに向かったという。

そして同じ道のりを石像を大切に抱え村に帰ってきたようだ。

クパンの街ににもユサの期待した目のある人はいなかったのである。



その石=石像は今どうしているのだろう・・・・。

考えてみるとアンバランスな形、石灰石のブツブツした表面・・・ちょっとした奇妙さもあった・・・。



川原の石に沸き立つような驚きを発見したユサはひょっとして、

33年間一人で石を積み上げ理想宮を築いたフランスの郵便配達人シェヴァルのように、変わった形の石に惹き付けられてしまったのかも・・・。

だだの石と思えばだだの石で、ただの石ではないと思えばただの石ではなくなる。

石ころをお守りと身に付ければ、石ころは守ってくれるであろうし、モノの力とはそれを所持した人のモノへの思いでもある。

すべてはこちらしだいだ。



ユサの理想郷は実現しようにはないけれど、こんな友人は大切にしたい。







「郵便配達夫 シュヴァルの理想郷」

岡谷公二

作品舎  1992年