TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

葉書

A4サイズのノートに手書きした住所録を、葉書ぐらいのサイズに縮小コーピーしはと目で2箇所穴をあけて閉じた住所録をいつも旅の時に携帯している。

葉書に住所を書いているとき、その場所を知っているときもあるしぜんぜん知らないこともある。

でも、そんなこととは関係なく、住所を書き込み切手を貼ると、葉書はその行く先に向って方角を整えてゆく。

日本だと、2つ口のある赤いポスの正面に立ち、左側の口に投函する。落ちるときにコトンと底に当たる音がすることもあれば、何もしないときもある。

いつもなんとなく赤いポストにペコッと頭を下げてしまう。

海外では必ず郵便局へ行く。料金を確認し、切手が接がれないよう4隅までしっかり指でなぞり、窓口に行き目の前で消印のスタンプを押してもらう。

そして押した消印の日付とちゃんと切手の上にスタンプがのっているかを確認し、送り先の国名をおまじないのように唱えながら手渡しして郵便局を出る。

ここからはもうどうすることもできない。届くか届かないかの小さな賭けをしたような、この賭けは距離が遠くなればなるほどスリルがある。

葉書を受け取った方から「届いているよ」と再び手にすることもあり、自分の筆跡と葉書の絵柄と切手からそのときの風景が蘇り、

角が折れていたり、しっかり貼ったはずの切手の端が微かにめくれていたり、わたしの知らないところを潜ってきた小さな傷跡が頼もしい。

もちろん葉書の多くを2度と見ることはないのだけど。

2008年12月から2009年1月にインドネシアを旅をしたときも、郵便局に立ち寄りは葉書を出し、12月も終わりに近づいた頃には新年のご挨拶になっていた。

インドネシアは空港で30日間のビザをUS25ドルで発行してくれる。わたしは12月8日にジャカルタから入国し、1月6日までにはインドネシアを出国しなければならない。

このときはインドネシアの西ティモールから陸路で東ティモールに入り、ディリーでインドネシアのビザを取得して再びインドネシアに戻りバリから日本に帰国する予定でいた。

「あけましておめでとう」と書かれた年賀状は、出すタイミングを失ったままリュックにしまい込まれ、ビザが切れる日も迫り移動を続けなければならなかった。

海に囲まれた島々は陸路だけではなく、飛行機か船を必要とする。

2009年1月4日、インドネシア西ティモールのアッタンブアから一時間バスに乗り国境のモトアインまで行く。

「インドネシアに再入国の際は必ずティリーでビザを取得するように、国境では発行できないので」と注意を受け、インドネシア出国。

ここから東ティモールの国境までは800m。どこの国でもないアスファルトの上に注ぐ熱帯の太陽と世界を繋ぐアラクル海の静かな水面を眺めながらゆっくりと歩いてゆく。

左手に小さな小屋があり、パスポートを差し出すと東ティーモールの30日間の査証をUS30ドルと交換にポンと押してくれた。

少し先のキヨスクの前でディリー行きのバスを待つ。ここは東ティモール バトゥカデ。



年まえから持ち歩いた年賀状を出せたのは2009年1月7日東ティモールのディリーの郵便局からで、窓口の女性はポルトガルの血が混じった体格のいい女性だった。

日本までと行って20枚の葉書をカウンターに置く。一枚US75セント。

のりを貸して貰い一枚一枚に貼ってゆく。いつものようにスタンプを押してもらいもう一度確認しおまじないの言葉を口にしながら差し出す。

カウンターの向こうの女性は大丈夫よと大きな身体を揺らしながら立ち上がり葉書を受け取る。



2009年1月29日帰国。寒い。一緒に連れ帰った布や留守中にたまった用事を少しずつしながら日々が過ぎてゆく。

4月に入りラオスへ行く準備を始めた頃何件かのメールが入った。「年賀状届きました」

2009年の4月から5月にかけて、東ティモールのディリーから送った年賀状が書いた住所に届き始めた。

全部届いたかどうかはわからないけど、いったいどこから届いたのだろう?

ポルトガルを経由してきたのかも。US75セントでの4ヶ月の旅。