TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

布を纏い布と出会う

展示会を開催していていつも思うことは、大切な時間を費やしていろいろな方に来ていただけることがどれだけ幸せなことなのかと。すべては"布"のなせる技、個人の性別、年齢、国籍などのすべての背景を軽々と飛び越えて、人と人の距離をふいと接近させる。一枚の布の端っこと端っこを一緒に手に取り触れる、大きな布を広げて数人で囲んでみんなで眺める、もちろん背中を向けて一人ひっそりと味合う方法も。

もちろんこれは"布"だけのことではなくて、興味のあるもの好きなもの、共通点が多ければ多いほど言葉でいちいち自分のことを説明する必要なく分かり合える。



ラオスでタイ・ルー族の村を訪れた。村と村を繋ぐ田舎道を進んで行くと藍の糸が干してある村にようやく辿り着いた。今まで通過した村には織りの気配がなかったので、ここが目指すタイ・ルーの村であることはすぐにわかる。織りの仕事の生きている村は安全、それは私の経験からいつも感じる。モノを産む才能、モノを換金する能力がある働き者の女性たちの住む村は、精神的にも豊かである。

村のあちこちに藍の糸が掛かり、どの家の軒先にも高機が置かれ女性たちは織りをしている。

わたしは糸を指差し布を見に来たことを仕草で伝え、織りをしていた女性の横に張り付く。もちろん突然の訪問。周りの家からも誰が来たのかと興味深げに女性たちが集まってくる。そしてわたしは彼女たちに囲まれる。彼女たちはわたしが着ていた藍色の刺し子風木綿シャツの袖や裾を摘んで触りながら、私にはわからない言葉で話しをしている。ああ、やっぱり藍の木綿の村なんだと触られるままに立ち尽くす。

もし、藍も織りも知らない場所にこのシャツを着て行ったとしても当然ながらこんな反応には絶対にならないだろう。藍を染め木綿織物を織る人たちだからこそ、その布がどのようになっているのかと新しい織物のアイディアを探りたくなる。

わたしと彼女たちの間に存在するはずの壁は一瞬にして取り払われた。わたしが女であることは見て判断がついただろうが、名前も年も国もそんな野暮な質問をする人は誰もいない。もちろん尋ねられたとしてもその質問の言葉はわからないのだけど。

藍色の刺し子風木綿シャツは、友人が仕立ててくれた。