TEXTILE DIVER 布を探しに

布につながるすべての感覚をひろげて 

スズメ

古いビルの4階の、南向きの仕事部屋の窓辺にスズメが立ち寄る。

多分、わたしが住み始めるずっと以前からこの窓辺はスズメの遊び場になっていたのだろう。

朝の日差しと共に来ることもあれば昼近くのこともあり、スズメにとっては予定通りの行動なのかも知れないが、

こちらからすると特に決まった時間はないように思える。

一羽のときもあれば、友達が一緒のときもあり、アルミサッシの上を歩くカサカサ・カサカサという足音と可愛らしい声が聞こえ、

スズメはやはりチュンチュンと鳴いている。いつも忙しそうで滞在時間はきわめて短い。

そんな時は、曇りガラスの向こうの茶色い小さな影を仕事の手を止めて見ている。



残りご飯があるときには、米粒を一列アルミサッシの上に並べておく。

スズメはやってきて、足音と鳴き声に嘴で米粒を啄ばむ音が交じり合う。米粒があることを仲間に知らせに行くのか、何羽かが交代でやってくる。

留守をしたときには、帰ってきて窓を開けて見る。米粒がきれいになくなっていると安心する。「来てくれてありがとう」

窓辺の米粒並べはもちろん気の向いたときだけで、スズメもそんな期待もしていないであろう。何の約束事もない気楽な関係。



わたしが勝手に米粒を並べているだけだから、スズメからは特に要求もなければ、変な言い方だけど感謝の言葉もない。

でも、もし並べた米粒をスズメが啄ばみにこなかったら、米粒がいつまでも窓辺に残ったままならば、

あれっ、どうしたのだろう?と心配になり、なんだか悲しくなるだろう。

こちらは気まぐれに米粒を並べているのだから、スズメも気まぐれに食べに来ても来なくてもよいはずなのだけど・・・。

考えると、わたしのほうがスズメに期待している。必ず来て食べることを信じ願っていた。

そしてスズメはいつもその願いを受け入れてくれている。



アフリカの民族のなかには、物をあげたほうが「もらってくれてありがとう」とお礼を言うという。

もし、お礼の言葉がなかったらもらった側は「もらってあげたのにお礼も言わないなんてなんて失礼な人なのだろう」と。

日本では、もらった方が「ありがとう」とお礼を言う。



日本の昔にも、物をもらうほうが優位な関係もあったようだ。

それは托鉢僧であり、旅人(客人)であり、そして乞食であった。

物をあげる方はあげることで、違う何かを受け取った。

それはご利益といわれる物であったり、知らない世界の新しい出来事であったり、

施すことにより、良いコトも悪いコトも分け与え、移し変えることができる、

人の暮らしを、人と人の関係を滑らかにするシステムのようなコトがそこには機能していたのかも。



米粒を並べて餌を施しているつもりのわたしは、大袈裟な言い方かも知れないけどスズメに救われている。